お金の感覚

木 旧暦 3月23日 先勝 戊辰 八白土星 八十八夜 下弦 Filip Filippa V18 23459日目

会社からお給料をいただくと、そのお金はもう自分のお金であるから、どう使おうとその人の自由である。またそうであればこそ、自分は社会に出て自立して生きているんだという実感が与えられるものである。だが、それは「驕り」へ繋がる道の第1歩であることも事実であると思う。新入社員の頃にはたいていの人はいただいたお給料で生活するのがやっとであるから、「驕り」という感覚からは縁遠いと思う。でも、あらゆる驕りは、「このお金は僕のお金だ」と思うことから出発するのではないだろうか。驕ることがなぜいけないかと言うと、つまりそれは久しくはないからである。親子三人がカツカツの暮らしを立てていた時代に僕は、生活に必要なお金は給料として自分に与えられるけれども、それは神仏が僕にそういう形をとって養ってくれているのだと思うようにした。その頃はいただく給料は自分のお金なのに少しも自分のお金で無いような気がした。責任をとらなくてすむという意味では気楽であった。ところが、少しずつ暮らしにゆとりが出来てくると、知らず知らずのうちに「このお金は僕のお金だ」と思うようになっていく。人間とは勝手なものだ。抑制しすぎると経済は発展しないし、使いすぎてもいけないし、バランスを取るのはむつかしい。