就職が決まった頃

水 旧暦 11月28日 友引 乙亥 三碧木星 Gunnar Gunder V2 23346日目

まだ学生時代であった頃、そして就職先が決まった頃は、就職が決まった安心感とどんな仕事に就くのだろうという不安感とが同居していたように記憶している。今からはもう想像も出来ないことであるが、あの頃の僕には、微分方程式を解いたり、行列と行列式の演算をしたり、ベクトル解析なども幾分理解していたのである。会社へ入ってからこういう知識が必要な仕事をもらったら今のレベルでは駄目なんじゃないかと密かに心配したりもしたが、入社してみるとそのような知識を使う場面は全く無かった。社会人になることができたのは本当にうれしかった。高度成長の時代でもあったし、毎日の生活に張りがあった。同期で入った人の中には、私はこんな仕事がしたいのに今の仕事は私に合っていない、と考える人もいた。そういう人は自分のやりたいことを明快に持っているわけだからうらやましいような気がした半面で、社会というところはそんなに自分の希望通りに行くものかな、という思いもあった。これとは反対の極端へ走ると、「お金をもらえるなら人殺し以外何でもやります」タイプの人もいて、それもちょっとどうかなと思った。自分の好きなことをやってお金をもらえるなら幸せなことだと思う。野球の好きな少年が職業として野球人になることも幸せと言えば幸せであるが、そのうちスターになれるのはほんの一握りの人たちである。大半は生活していくのもなかなか苦しい場合もあるんじゃないかと思う。そういうことを忍んでも野球がしたいのであればそれを覚悟の上でやればよいと思うが、年齢的に長くはできないであろうし、生活も大事であるから、「好きであるから」という一点だけではなかなか仕事は決められない。けれども一方で、世の中を引っ張っていくのは好きでたまらない仕事をしている人たちだろうと思う。お金のためだけにやっている仕事は好きでやっている仕事に勝つことは出来ない。