専門知識を身につけること

金 旧暦 11月23日 先負 庚午 七赤金星 Rut V1 23341日目

現代は格差社会であるとよく言われる。それは決して良いことではないが、そうなってしまう背景にはそれなりの理由があるのだと思う。会社で仕事をしていると、本当に高度な専門知識を持ってそれを生かして仕事をしている人がいる。そしてその仕事がまたさらにその人の知識を深いものにしている。彼も人なら我も人、という思いが胸をよぎるが、一方で彼ほどの人間ならば給料が高くて当たり前だろうなとも思う。しかし、その人はお金のために仕事をやっているのではなさそうである。そのような高い専門知識を身につけた人間をどれだけ多く抱えているかでその会社の実力が決まる。技術の進歩の速い現代では、そういう知識を豊かに持つ人と持たない人の差は歴然としていて、それが給料の差になって現れて、格差社会へと進んでいく、ということはないだろうか。昭和の時代にももちろんそういう差はあったであろうが、それでも電子計算機はそれほど発達していなかったし、会社の技術力は集団としてあったものが、今は個人に分散されてきているのではないかと思う。昔は同期で入社した人たちは才能のある人も無い人も最初の何年間はその給料にあまり差が無かっただろうと思う。ところが今は才能の高い人を早い時期から優遇する傾向がある。それだから皆、競って高い専門知識を身につけようとするのだと思う。日本の大企業が最近外国に負けそうな雰囲気があるのも単に円高のせいばかりとは言えないのではないだろうか。技術が集団から個へ移行する動きに企業が対応しきれていないことはないだろうか。知識の偏在、集団から個への技術移行、格差社会、大企業の衰退。これらの間には深い相関関係があると思う。

しかし、そういうハイテク方面だけが専門知識ではないとも思う。例えば漁師が風の向きや潮の流れを見て明日の天気や魚の居る場所を言い当てることができるとすればそれはそれで専門知識であるし、店員がこの商品とこの商品を並べて置いた方が一緒に買っていく客が増えるということを知っていたらそれもまた専門知識ではないかと思う。どんな職業につくにせよ、その中に必要な専門知識は必ずあるだろうし、それを探したり身につけようと心掛けることは大事と思う。必ずしも数学や物理を学ぶことだけが専門知識を身につけることではないと思う。僕らの高校時代には、今さえしっかり勉強して良い大学へ入っておけば、そして良い会社へ就職できれば、後は人生が楽なんだよ、だから今だけはしっかり頑張るんだよ、とまことしやかに言う人も周囲にあったが、結果から言うとそれは全くのうそであった。人生は死ぬまで勉強であると言う気概を持たねばならない。これから会社を定年になる人間もこれから社会に出る人間と同じくらい勉強への意欲を持たないといけないのではないかと思う。