デジタル通貨の時代

2021-11-25 (木)(令和3年辛丑)<旧暦 10 月 21 日> (赤口 丁丑 二黒土星) Katarina Katja 第 47 週 第 26594 日

 

スウェーデンでは、現金を使用する機会が本当に少なくなってゐる。それで、一部の人たちは、社会から現金をなくしてしまひませうと提案してゐる。無論、これに反対する人もゐて、12月2日には国の議会で、政治家や専門家や関連する会社の人たちが集まって議論をすることになってゐる。どんな展開になるのか興味深い。今やコンピュータとネットワークなしでは社会生活が営まれないが、もしも現金がなくなるとなればそれがますます難しくなる。僕の同居人は町の八百屋さんへほうれん草と大根を買ひに行くことがある。それらは近くのスーパーでは売ってないから町まで行くのである。レジでデヴィットカードをかざすと、「このカードは使へません」と出ることがある。預金残高不足ではない。これはこのお店だけで起きる現象で、使へる日もある。使へない日は現金で払ふようである。これにはもっともな原因があるのかもしれないが、システムはこのように消費者にとって不安定なことがある。安心のために2枚以上のデヴィットカードを持たないといけないかもしれない。そして何より怖いのは停電とか、大規模災害が起きたときである。僕は東日本大震災の時に出張で茨城県に居て被災した。被災直後はまだコンビニなども営業を続けてゐたが、人々は津波の到来を心配する様子もなく、狭い店内はとてつもない混雑であった。商品棚の品々は数時間で完売した。それから10日ばかりは閉店が続き、出張の身で、極度の空腹に苦しんだ日々が続いたのを覚えてゐる。それはともかく、被災直後から3日間ほど停電になったので、その時はコンビニのレジも動かず、電子マネーなどの支払ひも受け付けられない。お店の人は電卓を叩いてお客から現金を受け取ってゐた。レシートもなし。極めて不正確な計算であるが、この異常事態にあっては、もうこの場で、できるだけの現金回収をしようといふお店の考へも分からないではなかった。当時から電子マネー派であった僕は、こんな時はやはり現金がないとダメかなと思ったものである。このように、現金がないと困る場合もあるけれども、僕は心の中で何パーセントかは、現金の無い社会の方が良いかなと思ふ。昔、給与の支払ひが現金であった時代には、厚みのある給料袋を家に持ち帰る男はそれなりに尊敬されたものだった。その日は黙ってゐても夕食にビールの1本もついたかもしれない。逆にいへば、男が威張ることができた時代である。それが、給与の銀行振込になって、男は威張れる機会を失った。これがさらに進んで、そもそも現金もない時代になると、男はますます威張れない時代になるような予感がある。たとい男が威張れなくても、現金のない社会の方が文明が一歩進んだような気もする。

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寒々しい空の色だが6℃ほどあった。