もしも僕が若かったら

木 旧暦 11月22日 友引 己巳 六白金星 Alfred Alfrida V1 23340日目

もしもクレオパトラの鼻が1センチ低かったらとか、歴史の中で過ぎ去ったことに余計な仮定を設けてみることは意味がないとされている。けれどももしも自分が縄文時代に生きていたらとか、平安時代に生きていたらと想像してみることは結構楽しいことではないかと思う。そんなに遠くまで飛躍しなくても、現代にあってもしも自分があの人の立場だったらこの時どうすべきかという風に考えるなら、それはコミュニケーションの方法にも関係してくることと思う。色々なもしもを考えてみることは意味のあることもあると思う。僕はやがて会社生活を終わる年齢に達しているけれども、もしも自分がこれから社会に出ていく学生であったとしたら、これからどうするだろうか。そんな設問を団塊の世代を対象に聞いてみるとどんな答えが返って来るだろうか。そういうことを思ってみるのも老化防止に役立たないだろうか。僕の場合の回答を考えてみたい。社会に参加するためにやるべきことと、内省的に自分を磨くためにやるべきこととを分けて考えたい気がする。そして、社会に参加するためにやるべきことには4つの項目が考えられる。専門知識を身につけること、語学を鍛えること、デザイン力を磨くこと、サービス精神を持つことの四つである。そういうことを思うのでそのひとつずつについて、明日から少し書いてみようかと思う。