想定外

火 旧暦 8月17日 赤口 丙申 七赤金星 Ludvig Love V40 23247日目

福島第1原子力発電所が昨年の津波によりあのような大事故を引き起こして、日本の原子力は根底から信用を失った。その現実の前にはもはやどんな言い訳も成り立たないし、どこまでも謙虚に反省しなければならないと思うが、その半面で、国民をあおるように図に乗って、頭ごなしにどこまでも危ないものと決めてかかるのも正しい批判とは思われない。なぜあの事故は起きたのかという原因究明が、おかしな具合に複雑な方向へ走っているのではないかと僕には思われる。あの事故の原因を1行で述べよ、と言われたら、「電源をなくしたからです」と答えればよい。そういう明快な答えが皆分かっているのに、そういう単純な表現の発表を人々は逡巡している。そしてそれが余計社会の不信を募らせている。数学の証明は公理を出発点としている。公理とは証明なしで使ってよい命題である。例えば、空間上の任意の2点間を結ぶ直線が引けることを証明せよ、と言われても証明できないと思う。それは誰にも直感的に分かる公理として認める他ないからだ。もし、公理が成り立たないような状況が起きたらどうなるだろう。それを「想定外」と言う。日本の原子力安全神話の最大の落とし穴は、「全電源喪失はおこらない」という命題を公理のように安全解析の出発点に持ってきてしまったことだ。逆に言えば、公理が満たされる状況を常に確保してやれば、そこから先は十分な安全解析がなされていると言って良い。だからそういう状況をどうやったら確保できるかをしっかり論ずればよいことになる。むろん、安全への見直しは繰り返し必要で、それは終わりのない努力であるけれども、大事なのは高邁な思想を弄り回すことではなくて、現場の感覚を大事にすることであると思う。