スウェーデン25年

火 旧暦 7月18日 赤口 戊辰 八白土星 Gisela V36 23219日目

僕がスウェーデンの地を初めて踏んだのは25年前である。8月31日に長く勤めた会社を辞めて単身9月4日の飛行機に乗った。着のみ着のままであった。当時はアンカレッジを経由して北極回りでコペンハーゲンに入ったので、入国したのは9月5日ではなかったかと思う。外国へ行けば水を飲んではいけないと思い込んでいたが、南へ下る電車の待ち時間にストックホルムの食堂に入り、水を飲んでも良いことが分かった時はうれしかった。やや心配であったのはチェルノブイリ後の放射能の影響であった。1000km以上離れていてもトナカイの肉などに影響が出たように覚えている。福島を中心に今も続けられているような詳細なモニタリングポスト網がもし当時ここに行われていたならヨーロッパ中が相当のレベルで汚染されていたに違いない。何しろあれは原子炉そのものの大爆発であっただけにチェルノブイリの現場近くでは長期にわたり恐ろしい被害が出たが、一部の人たちが警告したようなヨーロッパ全体が20年のうちに壊滅的なことになるであろうという予言は幸いにして当たらなかった。でも、当時の僕には心配であった。だが、そういう心配よりももっと現実的な心配はこの国に来たのは良いが、果たしてやっていけるだろうかという心配であった。給料の呉れ手からは1年か2年のうちに君はもう来なくて良いよ、と言われそうな予感があったので、常にそうなった場合のことを恐れていた。だが、結果的には、辛抱強い給料の呉れ手は25年にわたってなお、僕を解雇することはなかった。この間に僕よりも遥かに優秀な人たちが職場を去っていくのを目にしているので、一方に喜びを感じながらも、複雑な思いはある。1年の仮住まいの後にアパートを探さなければならない時も困った。まとまったお金が無いと住む権利を買うことが出来ない。銀行へ行って交渉してみたら、必要なだけのお金を全部銀行が貸してくれた。これは今でも本当に感謝している。日本の銀行で、どこから来たか分からない外国人に保証人も無しにお金を貸してくれることがあるだろうかと思うと、この国の懐の大きさを感じないではいられなかった。全く神仏の加護なくしてここまで来れる事はなかったと思う。最初の仮滞在の後一度日本に戻り、正式滞在と就労の許可証をもらって家族と一緒に渡ったのは11月末であった。最初の数年間は口では言えないほど質素な暮らしを余儀なくされた。だが、楽しかった。滞在25年目を迎える今、何かこの地に奉仕したい思いを持つ。