情報と判断

日 旧暦 2月23日 赤口 辛巳 六白金星 Rudolf, Ralf Jungfru Marie beb.dag. Sommartid börjar V12 22690日目

首都圏を含む関東で水や野菜に放射能が検出されたことで、野菜の出荷が止められたり、ミネラル水が不足したり、大きな影響が出ている。本当はそんなに騒がなければならないほどのレベルに達していなくて、野菜の出荷停止命令などは行き過ぎであると思うのだが、そうしなければ、後になって、政府は何も手を打たなかったといって非難されるのをおそれて、そうしているのであろう。どこに、どれだけの放射能が検出されたかを迅速に正確に公開することはもちろん重要であり、その意味では、今回の情報提供はかなり良質ではないかと僕は思っている。チェルノブイリの時、ヨーロッパ全土は広く放射能で汚染された。何千キロメートルも離れたスウェーデン発電所に降った放射能が作業員全員の靴の裏について、区域を出る時の検査で警報がなったほどの汚染であった。風の向きや雨の降り具合でホットスポットができたり、汚染の少ない地域が出たりもするが、もしもあの時、今の日本で出しているようなレベルの情報が各地で出されていたら、ヨーロッパ全土で、水も飲めない、何も食べられない、という状況であったはずである。当時は僕も、これから先の10年、20年のうちにヨーロッパ中がどうかなってしまうのではないかとひどく心配したのを覚えている。けれども、実際には、25年が経ってもヨーロッパの広い区域で放射能による有意の影響は認められていない。乳児も立派に成人している。生命は放射能に対してもそれなりに耐性を備えているのである。情報は大事であるが、得られた情報をどう判断するかは、おのずと別問題である。その判断の為に専門家の知見に頼るのはやむを得ないが、最終的に判断を下すのは自分自身である。専門家といえども、絶対に安全などとは軽々しく言えないことでもあるし、絶対に危険ともまた言えないことなのである。判断まで含めて状況が良く分からないから、情報が足りない、などと叫んではいけない。情報はちゃんとあるのに、足りないのは単に己の判断力だけなのである。似たようなことは、何年か前の金融危機の時にも起きた。自己資本比率などの情報はちゃんと出ているのに、それをもとにどの銀行が危ないか危なくないかが判断できないから、情報が足りない、などと人々は叫ぶ。それは専門家に聞いても意見が分かれることかもしれない。噂が噂を呼んで、みんながお金を引き出しに走ったりすると、つぶれるはずの無い銀行がつぶれることも起こりうる。判断は情報の一部ではない。それでも常に心ある情報の開示は必要であろう。朝家を出る時に、「あなたの帰りが遅くなることは仕方ないと思うの。でもね、その時は電話で知らせてね」と優しく妻に言われた夫が、正直に「今日は遅くなるよ」と電話すると、そこで激しく言い争いが起こる例を僕は知っているが、それでもやはり情報の開示は文明国として、あるいは文明人として大事であると思う。