災害の意味するもの

土 旧暦 2月22日 大安 庚辰 五黄土星 下弦 Emanuel V12 22689日目

東京電力の主力発電所である柏崎刈羽原子力発電所が数年前に地震に見舞われて、やっとそれから立ち直りかけた時に、今度は別の主力発電所である福島第一原子力発電所津波を受けて完膚なきまで破壊された。天災には違いないし、防ぎようが無かったといえば、無かったに違いない。それでも僕は、もしかしたら、その会社の持っている経営理念というか、社風というか、そういうものと、設備が天災を受けてしまうことの間に、何らかの必然性がありはしまいかということを、ふと思ってしまう。そういう考え方に全く合理性が無いことは良く承知しているけれども、一方で、あれは単なる偶然でした、ですませることのできない何かがありはしまいかとも思う。あまりに巨大な組織になりすぎた電力会社は、どうかすると、官僚的な考え方に陥るというか、書類だけ廻し、はんこだけ求めて体裁を整えるだけの仕事のやり方に陥っていくというか、そういうことはないだろうか。それは電力会社ひとりの問題ではなくて、日本人が誰もみんな、いま、ここで現実に起きたことの偶然の意味を落ち着いて考えることは、意外と大事なことではないかと僕は思う。