言論の自由

火 旧暦 6月27日 友引 丁未 二黒土星 Uno V33 231576日目

漢の武帝匈奴からの侵略に対抗し、その追討のためにしばしば北辺に兵を送った。なかでも李陵は最も勇敢な国士であって、寡兵を引き連れて戦地に赴き、祖国のために命をかけて善戦したのであるが、ついに捕らえられてしまう。このことがやがて武帝の耳に触れた時、身の安全を図る側近はこぞって、李陵は売国奴であると言い、あたかも彼が寝返りをうったかのように伝えられた。これを聞いた武帝の怒りはすさまじく、陵の一族は悉く殺された。この時、並居る群臣の中で司馬遷ひとりは李陵を褒め上げ、彼の名誉のために弁護した。しかし、これが禍となって司馬遷宮刑に処せられてしまう。そうしてそういう境遇のもとに大著「史記」の執筆がなったことはあまりにも有名である。司馬遷は君側の侫人の不節操を遺憾として弁じたが、はたして友情のためにも弁じただろうか。中島敦の「李陵」によると、後年になって李陵は司馬遷が自分を弁護してくれたために罪を得たことを知ったが、そのことを別にありがたいとも気の毒とも思わなかった。ここが僕には何ともすごいと思われる。現代に生きる僕たちも、何か自分の意見を述べる時には、こう言えば一部の人たちは喜ぶだろうとか、別の人たちは困るだろうとかを一切勘定に入れないで、ただ虚心に己の声を聞いて、それを言葉にして述べなければならないと思う。たとい自分の意見が一部の人たちを利するようなことがあっても、友情の美名の下にそこへ見返りを期待する卑しさがあってはならないし、たとい自分に禍が及ぶことがあっても、それを己の責任において引き受ける覚悟がなければならないと思う。ツイッターの時代とはいえ、自由に発言すること、それは本来それほどたやすいことではないのである。