小林秀雄の「本居宣長」

金 旧暦 5月24日 仏滅 乙亥 七赤金星 Joel Judit V28 231544日目

いつか読もうと思って昔から本箱に飾ってあるけれども、落ち着いて読んだことのない本の中から、今回の休暇旅行では1冊を選んで持って来た。小林秀雄の「本居宣長」(1977)である。だが、こういう本はプールサイドに寝そべって読める本ではない。泳いだ後に体を拭いて部屋に戻り、クーラーの効いた部屋で少し読んでそれからまた泳ぐというようなことを繰り返した。遅読で、なかなか先まで行けないけれども、旅行の最終日の今日はこれまでに読んだ範囲で感じたことを少し書き留めておこうかと思う。「もののあはれ」とはなんだろうか、とか、「もののあはれ」を知るとはどういうことなのだろうかという問いかけに対して、僕はこれまで自分なりに何となく分かったようなつもりでいたけれども、結局は何も分かってないんじゃないかということを思った。それは日本語で書かれているがゆえに日本人にしか分からないだろうと推測することは大きな誤りで、分かる人にはどの国の人にも分かることであろうとも思った。僕たちは学校で何かを学ぶ時に、ある言葉に意味づけを行って、それをもとに考えを進めるという方法を取っている。そしてそこに働く原理や原則を理解しようとする。それが一般的な科学の方法であろうとも思う。けれども、その同じ方法の延長の上に「もののあはれ」を論ずることは難しいのではないかとも思った。インターネットのあるページにブックマークをつけておいて、分からなくなったらここを開けばよい、というような性質のものではないのである。一度分かってしまえば、後になっていつでも取り出して参照できるというようなものでも無い。それは我身という主体に大きく依存するものであって、どんなに優れた解説の言葉も自分の中に十分消化されぬうちは無縁のものとなって消えてしまう。教養でもない、知識でもない、それは間断なきいのちの営みや生活感情と深く関わるものであるがゆえに、一度分かったつもりになっても決して油断のならないことでもある。西行の歌に「あはれ知る人見たらばとおもふかな」という歌があるが、この歌の読み手を考える時、「あはれ」の持つ深さへの緊張と警戒を思わないではいられない。現代の日本の人たちはこぞって源氏を日本文学の最高峰として称賛し、それにまつわるあらゆることがらをテーマとして研究し、解釈しているように思われる。しかし、源氏物語が成立した当時は文学とは漢詩文のことであった。源氏物語はおんな文字で書かれ、高貴な社会の乱脈を描く婦女子の玩物として軽蔑されていた時代も長くあった。それはつい70年前、日本が戦争をしていた時代でもそうであった。日本史の中で源氏物語をおおっぴらに読むことのできる時代は平和であるともいえるが、あまりにおおっぴらであることが当然視される風潮もどうかなという気もする。少なくとも振幅の大きな褒貶の変遷の推移があったことに思いをはせてみたい。賀茂真淵は源氏をどう読んだか、上田秋成は、谷崎潤一郎は、正宗白鳥は、というようなことにも触れられていて興味深かった。漱石と鴎外の源氏への沈黙にも触れられている。宣長の源氏を読む姿勢は一貫していた。ものを語る人と聞く人との関係はどんな風であるか、古書を吟味するとはどういうことであるか、小林秀雄の解説によってそれがよく分かる。契沖や中江藤樹伊藤仁斎荻生徂徠など(いずれも僕は名前を知っているばかりなのであるが)の話がこの本の割と初めの方に出て来て、そういう系譜の中で、本居宣長が登場してくる。インターネット生活に慣れた僕たちに、それは勉強の方法として一石を投じはしまいかという不安に駆られる思いもした。