長湯のケンちゃん

土 旧暦 1月1日 先勝 乙卯 七赤金星 新月 Karl Karla Konungens namnsdag V4 24826 日目

日本の友達から電話があって、昔の友達が亡くなったことを知る。名を高倉一紀と言ひ、皇學館大學国文学科教授である。65歳で学部退官となるために、まさにその最後の記念講演をし、懇親会も済ませた後で、急に気分が悪くなって、そしてそのまま逝ってしまったのだといふ。つい一昨日のことで、突然と云へばあまりに突然の出来事であった。若い頃から映画俳優の高倉健に似てゐたわけでもない(と僕は思ふ)のだが、同姓といふことからか、誰からともなく「ケンちゃん」と呼ばれ、やがてその名がすっかり定着し、どうかすると本名があったことを忘れるほどだった。小林秀雄が「本居宣長」を書いた頃よりもまだずっと以前からの宣長の心酔者であった。学校を卒業した後、本居宣長記念館で働いた時代もあった様に記憶する。何も知らない僕はケンちゃんの話を聞くばかりであったが、「美濃の家づと」による歌の解釈などケンちゃんから教へてもらった様なものである。ケンちゃんは普通の友達だが、湯に入ると恐ろしいほど長時間出て来ない癖があった。何を考へて湯に浸かってるかなと思ふことも無いではなかったが、この奇癖を僕は親しいものに感じてゐた。僕は現在の日常生活でも動作が鈍い。プールで泳いだ後でサウナに入り、その後、着替へてから身を整へて建物を出るまでの時間は普通の人の2倍はかかるのだ。サッと短時間で着替へて出て行く若い人をいつも「かっこいいな」と羨ましい様な目で眺めつつも、自分はユックリでいいぢゃないかと自分に言ひ聞かせる。「ケンちゃんだって長湯だったぞ」とそこでいつもケンちゃんが出てくるのだった。そのケンちゃんが逝ってしまった。まだ僕より若いのに、、。寂しい限りだ。