父のこと

日 旧暦 12 月 12 日 大安 庚申 三碧木星 Karl Karla Konungens namnsdag V04 25191 日目

子供の頃、父は怖い人であった。稀にだけれども、そして僕は打たれたことがなかったけれども、家庭内暴力を振るふことがあったからである。それでも、成長するにつれて穏やかになり、やがては全く暴力の無い人になった。それで次第に怖い人ではなくなった。歳をとって人間が丸くなることもあったかしれないが、当時は父ばかりではなく、社会全体が今よりずっと暴力的であった。その様な社会に暮らせば、少しくらいの平手打ちは何でもないものになってしまふのかもしれない。何しろあの野蛮極まりない軍隊から戻ったばかりの人たちが町にたくさん居たから、急ブレーキをかける様に社会から暴力を排除することは難しかったろうと思ふ。父はそれまでは静かであったのに、いきなり脈絡を欠いた様に怒り出すことがあった。それがあまりにも突然であったから、母などは何故そこで叩かれるのか分からない面持ちの時があった。父の遺伝子を引き継いだ僕は、その怒りに至る心理的過程がわかる様な気がした。といふことは僕も暴力を振るふかもしれない、そんな恐れが芽生へて、さうならない様に僕は小さい頃から随分気をつけた。その意味では若き日の父には反面教師としての一面があった。父は僕が大きくなって一緒に酒を飲むのを楽しみにしてゐたが、僕が何年間か断酒したこともあったために、たまに郷里に帰った時もあまり父の望む様に飲むことがなかった。ちょっと悪かったなと今は思ふ。父がなくなったのは祖母が逝ってから4年後のこと、今から32年前の今日であった。お通夜の晩に、スペースシャトル、チャレンジャー事故のニュースが流れたことを覚えてゐる。今年は、祖母の37回忌、父の33回忌が重なる年で、本来ならそれなりのことをすべきなのだが、呼ぶべき親戚も少なく、冬にそのために日本へ帰ることも大変なので、今日は心の中で、「ごめんなさい」と謝るにとどめてゐる。