戊辰戦争の時代

月 旧暦 11月4日 友引 甲子 一白水星 Sten Sixten V51 24404日目

今から148年ほど前の戊辰の年には日本では正月からいくさがあった。鳥羽・伏見の戦ひである。京都南郊の地で幕府軍と新政府軍が戦った。幕府軍には新撰組会津藩などが居た。新政府軍には薩摩からの兵が居た。互ひに相手の話す言葉が分からなかったと司馬遼太郎の本だったか何かで読んだことがある。お互ひは敵同士であり、言葉さへも通じないのであれば「我らは同じ日本人ではないか」と思ふところは微塵もなかっただろうと思ふ。文化的な意味でも同じ日本語の古典文学を共有してゐるといふ意識もなかったろうと思ふ。話は飛ぶが、あの時代、例へば京や江戸に居れば、その気になれば源氏物語を読むことはできたろうと思ふが、それができるのは日本のどの地域まで広がってゐたのだろうか。北海道や樺太には住む人が少なかったろうし、琉球沖縄では、僕の推測では読む人が居なかったのではないかと思ふ。本居宣長が松阪で「もののあはれ論」を唱へたことを僕らは学校で教はるが、あの時代の人たちはそんなこと知らない人が多かったのではないかと思ふ。もっとも、源氏物語は当時は陰でコソコソ読むべき本で、今の様におおっぴらに読める時代では無かったから、議論するのもをかしいかもしれない。でも、今の時代にヘイト・スピーチで、特定の人種や民族を侮蔑的に貶める人は、人種や民族の成り立ちが如何に相対的なものであるかに気付いて欲しいと思ふ。