情報のすれ違い

土 旧暦4月5日 友引 壬戌 二黒土星 Carina, Carita V18 22733日目

情報を発信する人と受信する人の間にはすれ違いがある。絵や音楽など芸術による表現の場合には、書き手と読み手ですれ違うことは少ないかもしれないが、言葉でニュースを伝えるような場合にはすれ違うことが起きる。卑近なところでは、「昔、俺が言ったじゃないか」という言葉を聞くこともあるし、「聞いてません、私、そんなこと」という言葉を聞くこともある。何かを発信する人にはその人の思い込みがあり、受信する人にはまた受信する人の別な思い込みがあって、相手と自分との間にあるその思い込みの違いを予想した上で何かを正確に伝えることは難しい。福島にレベル7の原子力の大事故があったという報道が世界を駆け巡ると、地球の反対側でこれを聞く人は、何か核爆発でも起きた場合のような先入観念で事態を予想してしまう。そしてそういう先入観念でニュースを聞けば、どんなに表現を工夫しても事態が悪いように解釈されてしまう。同じニュースを日本で聞く場合とヨーロッパで聞く場合とで違った解釈になることがおきるような気がする。そして日本は今近づいてはいけない状況であると思われてしまう。さりとて、「日本は全く安全です」と言い張るのも良くない。別の不信を招くおそれもあるからである。正しい情報の発信は、客観的であろうとすればするほどむつかしい。時間をかけて歴史の判定に待つしかないのかもしれない。