秀吉を演じた男たち

日 旧暦4月6日 先負 癸亥 三碧木星 Åke V18 22734日目

NHK大河ドラマ、第50作目の今年は「江」をやっている。僕も時々見る。毎回欠かさずに見なければ面白くないが、なかなかそうもできない。昭和40年の太閤記(主演・緒形拳)から、今年の岸谷五朗演ずる秀吉まで、何人の役者が豊臣秀吉を演じて来ただろうか。僕の知る限りでは、どの役者にもそれぞれに持ち味があって、しかも、それぞれがピタリと役にはまっているように思う。それだけ、秀吉には多面性があるということかもしれない。今年の秀吉は女の目から見た秀吉が表現されていて、ちょっと喜劇仕立てでありすぎるのが気にかかるが、それでもこの秀吉像に僕は妙に納得するものがある。誰か、「秀吉を演じた男たち」みたいなタイトルで演劇評論を書けば面白いと思う。秀吉は百姓の家に生まれ、“サル”と呼ばれ信長に仕え、やがて天下を取っていくという、ジャパニーズドリームの主人公であり、何世紀にもわたって国民の間に語り継がれて来た。テレビというメディアを得た現代では、ワンパターンの寝物語を超えて様々な秀吉像が豊かに表現されるに至っている。もう何百年も昔の物語であるから、史実にいかに忠実であるかということよりも、日本人は何を求めているかということの方に興味がある。「いでや、この世に生まれては、願はしかるべきことこそ多かめれ」。たとえどんなに世間の風当たりが強くても、ひるまず、臆せず、萎縮することなく欲望の実現に向けて邁進できれば、それはそれであっぱれと人は言う。また、これとまったく対極的な生き方として、世を厭い、あらゆる欲望を抑え、後生を恐れ、ただ彼岸に往生せんと願う生き方もある。けれども背反するかに見えるこれらふたつの生き方は、互いに水面下で激しくぶつかり合った結果として現れるものであるから、どちらに転んだとしても、畢竟、同心に極まるような気もする。色即是空。人間の欲望に善悪の別もあるまい。だが、美醜の別はあると思う。そんなことを思って今日の「江」を見た。