メッセージの重要度

金 旧暦 5月27日 先勝 壬申 一白水星 Laila Ritva V27 23522日目

新聞記事の見出しの大きさはどうやって決まるのか知らないが、編集者の主観による部分が大きいだろうと思う。もしもすべての記事が同じサイズの見出しで並べられたらメリハリがつかなくて読みにくくなるだろうと思う。情報を書く側が親切にこれは大きいニュースですよと言ってくれるのは読み手には一応ありがたい。読み手はそれを大抵はそのまま受け取る。しかし、読み手にとっては小さい記事がむしろ重要である場合もある。一般に、ある情報の重要度は発信側ではなく、受信側の状況で決まるものであると思う。メールの場合はどうだろうか。受信箱に並ぶメッセージには、重要度を示す旗印がついているものもあるが、あの旗印は本来、受信したものが自分の覚えのためにつけるべきものであって、発信する側から旗をつけて送って寄越すのは僭越であると思う。それを重要と感じるかどうかは受け手の状況で決まるからである。ジャンクメールほど重要の旗印を付けて送ってきたりするものでもある。受け手にとってあるメールが重要であるかどうかは、まず、その発信者が誰であるかによって決まる。あの人から来たメールなら読み過ごすことはできないぞ、と思う時は誰にもあると思う。次に標題で重要度が決まり、最後に内容を読んで重要度が決まる。僕の書いたメールは、差出人を見ただけでゴミ箱へ捨てられることもあるかもしれないのに、と思いながらこんなことを書いている。