トランプ大統領は再選されるか

2019-06-09 (日)(令和元年己亥)<旧暦 5 月 7 日>(大安 丁丑 五黄土星) Börje Birger Pingstdagen 🇸🇪 第 23週 第 25686 日

 

日本経済新聞に、アメリカのCNNがまとめた世論調査の結果が出てゐた。2020 年 11 月の大統領選で再選を果たすと予想する人は 54% にのぼり、同時期で比較すると過去のオバマ氏の再選予想よりも高かったといふ。このままいくと、再選されるかもしれない。政策が間違ってゐると感じる人が多い一方でトランプ大統領は人気だけは高い。この、間違ってるのに人気が高い傾向は日本の安倍総裁の場合にも共通するのではないかと思ふ。あの人たちは「人気が高いってことは正しいってことよ」と思ってゐるフシがある。民主主義とはそんなものではないと思ふ。いつの日か手ひどいしっぺ返しが来るのではないかと僕は恐れる。ところで、オバマ元大統領夫妻は、スウェーデン発の音楽配信会社 Spotify 上で、Podcast をのせるといふ発表があった。そのことで同社の株価が上昇したと、これはスウェーデンのニュースで見た。小さなニュースだが、元大統領として、その意見の影響力を高めてほしいと思ふ。

 

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家の近所の散歩道から空を見上げる

 

チェ・ゲバラ伝を読む

2019-06-08 (土)(令和元年己亥)<旧暦 5 月 6 日>(仏滅 丙子 六白金星) Eivor Majvor Pingstafton 第 23週 第 25685 日

 

チェ・ゲバラといふ人は純粋な気持ちを持ち、優秀で、勇敢な英雄であるとは聞いてゐたが、Kindle 版で三好徹著の「チェ・ゲバラ伝」を読んでみて、その思ひを強くした。ただ、それでも疑問は残る。「武力闘争に訴へなければコトは成就しない」といふ思ひ込みに疑問を持つのだ。現実を見れば目標の実現のためには武力闘争より他に方法はないのかもしれないし、日本でも明治維新の頃までは、いや戦前までは、主義主張のために刃傷沙汰に及ぶことは普通にあったのだから、戦後日本の平和主義で育った僕らの価値観は甘っちょろいだけなのかもしれない。だが、それでも、どんな義憤も暴力を正当化できないと僕は思ふ。インド独立の父であるマハトマ・ガンディーを見よ。あの「非暴力・不服従」の抵抗を知る僕には、いかにチェ・ゲバラといへども違和感が残るのだ。民衆扇動やゲリラ戦を取らなければ勝利できない世界はあまりに悲しい。クーデターで政権を倒しても、権力を手にした新政権の野心がまた同じ過ちを繰り返すのが、世界によくあるパターンではないかと思ふ。チェ・ゲバラといふ人は権力をほしいままにする様な人ではなくて、その点は偉いと思ふが、果たして、ゲリラ戦を通じてしか人民を解放することはできないのかなと思ふばかりである。

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S:ta Katarina Kyrka

 

夏の病気

2019-06-07 (金)(令和元年己亥)<旧暦 5 月 5 日>(先負 乙亥 七赤金星) Robert Robin 第 23週 第 25684 日

 

少し病気で寝込んでしまった。それで金曜日の分のブログを月曜日に書いてゐる。病名は分からないが、症状は風邪によく似てゐる。水洟、喉や関節に痛みが出た。日本で買って来てあったパブロンを飲んだ。病名が分からなくても確かなことは、寝てさへゐれば治るといふことである。Vårdcentralen へ行くほどの症状ではない。ともかく家で無理をせずに寝た。老人になったので熱が出ないのだが、体に感じる辛さは熱が出た時と同じものであった。もうだいぶ治りかけたなと思ってからが結構長い。今日は寝床から起きたので同居人が布団を外に干してくれた。外は夏の良い天気である。病気は心と体のバランスが崩れた結果現れるものと思ふ。会社勤めを辞めて以来、何のストレスもない暮らしをしてゐるのに、それでも病気になるのはなぜだらうかと思ったりする。夏の病気は冬の病気より気分的に楽な気がした。

 

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同居人は白い小石を庭に敷いた

 

Sveriges Nationaldag

2019-06-06 (木)(令和元年己亥)<旧暦 5 月 4 日>(友引 甲戌 八白土星芒種 Gustav Gösta Sveriges Nationaldag 🇸🇪 第 23週 第 25683 日

 

昨日はデンマークのナショナルダーグ、今日はスウェーデンのナショナルダーグ。5月17日はノルウエイのナショナルダーグであった。6月17日はアイスランドのナショナルダーグである。夏の良い季節に集中してゐるが、同じ北欧でもフィンランドになると、12月6日と冬になる。今日は町へ出ればパレードなどあったかもしれないが、僕は出かける元気もなくて終日家に居た。

 

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終日ほとんど快晴の一日であった。

 

我が家の値段は

2019-06-05 (水)(令和元年己亥)<旧暦 5 月 3 日>(先勝 癸酉 九紫火星) Bo Danmarks nationaldag världsmiljödagen 第 23週 第 25682 日

 

スウェーデンの僕らの町にも、不動産屋がある。郵便受けには「引っ越す場合はご相談ください」といふチラシが時々入る。チラシばかりでなく先日は同居人に電話があって、家の査定をしませんかと聞かれた。どの位の価値になるものか知りたい気持ちもあったので、してもらふことにした。それが今日であった。朝のうちにいつもより少し丁寧に掃除をした。家を見に来たのは女の人であった。どこかで会ったことがある気がする。が、思ひ出せなかった。話をするうちに、それは、以前、近所のスーパーでレジを打ってゐた女性であることが分かった。さういへばこの頃スーパーへ行っても見かけない。多分、不動産鑑定士に相当する資格をとって、転職したのだと思ふ。彼女は短時間のうちに部屋を見てメモを取り、査定結果はまた知らせると言って帰って行った。それにしても、僕らは将来どの様にこの住み慣れたアパートを出て行くことになるのかなとふと思った。無計画に生きるのは良くないが、計画通りにはことが運ばないのが人生だ。先のことはわからない。確かな未来があるものと想定して予定を立てることは傲慢かもしれない。明日は明日の風が吹く。今日こそが大事だ。でも身の回りを日頃から整理する様に心がけるべきとも思った。

 

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Nyköping 川。町の中心部からやや下流。左側に水門あり。

 

Eskilstuna で

2019-06-04 (火)(令和元年己亥)<旧暦 5 月 2 日>(赤口 壬申 一白水星) Solbritt Solveig 第 23週 第 25681 日

 

先月21日には滞在許可証のことで Örebro に出かけたが、今日はまた別用で Eskilstuna へ行った。Eskilstuna は僕らの町から北へ 80 km 離れたところにある、割と大きな町である。人口 10 万人、人口規模ではスウェーデンで 15 位。ちなみに Örebro は15 万人で 6 位。首位の Stockholm でも 100 万人規模の都市である。ついでに書けば、わが町 Nyköping は人口 56,000 人で 44 位。もうこれ以上は増えて欲しくない。ところでその Eskilstuna であるが、距離としては Stockholm より近いのだが、あまり行く機会もなく、馴染みが薄い。Stockholm へは高速道路が完備してゐるので運転は楽だが、Eskilstuna へ行く 53 号線はちょっと神経を使ふ。といふのも僕は運転が遅いので、後ろから追いついた自動車には追い越して行って欲しいのだが、追い越しのためには反対側の車線に出なければならない。安全に追い越しできる区間が限られるので少し神経を使ふのである。とは言ふものの、交通量は非常に少ないので全体としては快適である。今日は天気も良く、クーラーをオンにするほどの陽気となった。大きな空の下に広がる初夏の田園風景や湖のそばを通って、気持ちの良いドライブであった。Eskilstuna では同居人の目の検査があって、それを待つ間、川べりのベンチでゆっくりすることができた。僕にとっては遠足の様な一日であった。

 

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川の向かうのツインタワーが Klosters kyrka。Eskilstuna で。

 

川崎無差別殺生事件

2019-06-03 (月)(令和元年己亥)<旧暦 5 月 1 日>(大安 辛未 二黒土星新月 Ingemar Gudmar 第 23週 第 25680 日

 

令和といふ時代が始まったまだその月のあけないうちに、川崎無差別殺生事件が起きた。それから約1週間が過ぎた。殆どテロリストの登場と結果において変はりない悲惨な事件であった。事件の直後から様々な意見がネット上に飛び交ったが、僕には事件の本質が見えない。偶然に起きた事件である様に見えて、現代社会に起こるべくして起こった事件である様な気がする。犠牲になった人たちに、お気の毒に、と簡単に言へない気がする。現代に生きる全ての人があまねく受けるべき審判を身代はりになって受けてもらってしまった感じがあるからだ。読んだニュースの中に気になる記事があった。犯人はひきこもりで、誰とも口を利かない人間であったのに、その実行当日の朝だけは周囲の人に向かって「おはようございます」と自分から挨拶したといふのだ。根に感じやすい性質を持ってゐるのではないかと思った。その記事を読み終えた時、僕は涙ぐんでしまった。その男は、その51年の人生において、周囲の人から敬意の目で接してもらった経験がどれほどあったかなと思ふ。僕らは人を尊敬するといふと、すぐにえらい人や立派な人を思ひ浮かべてしまふが、全然立派でない人間同士でも、お互ひの人格を尊重し合ふ態度は大事と思ふ。現代にはその様な教育が欠如してゐる。その様な教育は学校よりもまづ家庭でなされなければならないと思ふ。誰からも無視され続けた人間が螺旋階段を落ちる様に流れ流れて行き着く先は恐ろしい。「一切衆生 悉有仏性」といふ言葉もある。ひきこもりの人間を「恐ろしい」と言って遠ざければ、事態はますます恐ろしい状況に至るのではないか。「悪い奴をやっつけろ」とか、「警戒の目を強化せよ」といった類の対応では問題は解決しないと思ふ。

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シャクナゲが満開になった。部屋の中からも見える。