力士の名前

2024-03-19 (火)(令和6年甲辰)<旧暦 2 月 10 日>(大安 壬午 七赤金星) Josef Josefina    第 12 週 第 27433 日

 

大相撲は春場所十日目が過ぎた。「荒れる春場所」といふ言葉があるが、今場所もそのジンクス通りに大関陣はあまり冴へない。横綱照ノ富士は休場してしまった。新入幕の尊富士は初日から9連勝、大の里がそれを1差で追ふ展開になって、新人たちの活躍が目覚ましい。今日はそのふたりの対決があって尊富士は10連勝となった。すごい勢ひである。ただ、やや気になるのは新力士たちの名前である。尊富士(たけるふじ)とか天照鵬(てんしょうほう)とか、その名が「力士の名にしては立派すぎないかい」といふ感じがあることだ。21世紀生まれの人たちにはそれで良いかもしれないが、昭和生まれの僕には「ちょっとなあ」と思ってしまふ。力士の名のことを「四股名」といふが、これは「醜名」にも通じる。「しこな」は強さうな名前を連想させるが、同時に自分の名をへりくだる意味もあると思ふ。力士の名前に山とか谷とか川とか海とか里とかつくのは人の営みが自然とともにあることを示してゐて微笑ましい。昭和生まれと偉さうに言ってみても僕は戦後の子であるから、詳しくは知らないが、万葉集にある「今日よりは顧みなくて大君の醜の御盾といでたつ我は」といふ歌などかなり戦時中に広められたと聞く。ここにも「しこのみたて」といふ言葉が現れて醜悪であるといふ連想が働く。力士の名には自づからへりくだりの表現があるべきかと思ふ。それなのに、ふと神話時代の神々を連想させる様な立派な名前は果たして「醜名」に相応しいかなと思ってしまふのだ。考へ過ぎかもしれない。蛇足になるが、三島由紀夫が1970年に市ヶ谷にある自衛隊に突入し、自決した時のメンバーは「楯の会」と呼ばれた。その名はこの万葉集の歌から引かれてゐるといふことである。

今日も晴れてくれた