港で

2021-06-27 (日)(令和3年辛丑)<旧暦 5 月 18 日> (仏滅 丙午 一白水星) Selma Fingal    第 25 週 第 26433 日

 

日本の港町といへば、つい僕は森進一の「港町ブルース」とか美空ひばりの「港町13番地」とかを連想してしまふ。僕が今住むヨーロッパの町にある港は大変小さくて、港町といふよりも、普通の町に港もあるといふ感じである。Nyköping 川がバルト海に注ぐところが港になってゐる。大河ではないから、港も小さい。うんと沖に出れば、もしかするとロシアの潜水艦が出没することはないかなと思ふこともあるが、平和な港であると思ふ。個人でヨットを楽しむ人が利用するための港といふ一面もある。昔ギネスブックに載ったといふ長い桟橋もある。港の周りは公園になってゐる。と言っても山下公園港の見える丘公園とは雰囲気が違ふ。同居人と僕とは二人だけでゐる時はなかなかここまで来ないのだが、娘と孫が来てゐるのでその辺りで一緒に時間を過ごした。子供が遊ぶ場所もある。公園脇に売店があって、軽い飲食のサービスもある。最近は人出も増えて来つつある。ひとりの女の人がテーブルでビールを飲んでゐた。その人は時間をかけて海を眺めながらビールだけを飲んで、しばらくすると自転車でどこかへ去った。見てゐてなんだかとても優雅に思へた。「演歌を聴きながらひとり酒」といふ雰囲気よりもこんな方がいいなと思った。

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Nyköping 港にて