和の精神

2024-01-13 (土)(令和6年甲辰)<旧暦 12 月 3 日>(友引 丙子 四緑木星) Tjugondedag jul Knut    第 2 週 第 27367 日

 

平家物語の巻第二に「善光寺炎上」といふ章段があり、そこには信濃善光寺が消失した事件が、天下の乱れ、平家も末となることの前兆ではないかといふ文脈で書かれてある。善光寺の本尊の来歴にも触れられてあって、それはもともとインドにあった仏像で、インドに500余年、百済に移って1000年、その後我が国の欽明天皇の御代に日本に渡ってきた仏像であるといふ。そんな尊い仏像が摂津国難波の浦に捨てられた様に置かれてあった。それを信濃国の住人・本太善光といふものが大事に信濃国へ持ち帰り安置したといふことが書かれてある。なぜ、その様な尊い仏像が捨てられてあったのかはよくわからない。だが、古代の日本で、我が国への仏教伝来の是非をめぐって蘇我氏物部氏との間で激しい対立があり、その時に物部氏が多くの仏像を捨てたもののひとつがまだ残ってゐたのかもしれない。神仏ならなんでもありがたがる今の僕らには想像できないほどの宗教対立が当時あったのかな。宗教対立といふ名の権力闘争であったかもしれない。後に聖徳太子が十七条憲法を定められた時に、和の精神を第一に持ってこられたのも、その様な時代を反省してのことであったかしれない。今、世界的規模で和の精神が求められてゐると思ふ。戦争はどんなに時代が進んでも避けられないものなのだらうか。日本には「負けるが勝ち」といふ言葉もあるのだが。

散歩にも出なかったので二日前の写真