能登半島地震の被害

2024-01-03 (水)(令和6年甲辰)<旧暦 11 月 22 日>(友引 丙寅 三碧木星) Alfred Alfrida    第 1 週 第 27357 日

 

能登半島地震の被害が広がってゐる。死者も既に73人出た。がれきの下に救助を待つ人はどんな思ひであるか。家が揺れて潰れる様な恐ろしさを体験した人は、その時の恐怖がずっと後まで胸に残るのだらうと思ふ。僕は2011年に茨城県東日本大震災を体験した時、避難所に行かずに済んだ。泊まってゐたホテルが大丈夫であったから、その部屋に寝泊まりした。それでも食べるものが何もなくて苦しかった。三日ほどは停電が続き、情報が全く入らなかった。福島の原子力発電所が大変なことになってゐても、全く知らなかった。不謹慎だが、疲れた身体を休めるチャンスだと思ってずっと寝てゐた。近くのコンビニが時間を制限して開店したのは九日後であった。品数はずっと少なかった。棚に並ぶのはお弁当や生活必需品ばかりであったが、ありがたかった。この頃から町に宅急便のトラックを見かける様になった。そのコンビニに大好きなアイスクリームが入荷したのは十九日後であった。お風呂にはずっと入れなかった。僕の体験は被災としては程度が軽かったが、それでも、支援物資がなかなか届かない時の苛立ちはわかる気がする。道路が寸断されてゐれば、善意があってもモノは届かない。戦場で活躍するドローンがこんな時にこそ役立ってくれたら良いのにと思ふ。被災された方々のもとに救援物資がどうぞ速く届きます様に。

昨日は同居人を迎へに Stockholm へ行ったが、新聞記事では高速道路は事故多発したらしい。無事に帰ることができて良かった。