終はりのない旅

2023-07-29 (土)(令和5年癸卯)<旧暦 6 月 12 日>(大安 戊子 三碧木星) Olof Olle    第 30 週 第 27199 日

 

旅にははじめがあっておはりがある。それでも旅の後に思ひ出が残って、どこがおはりであるか分からない気分もある。人生もきっと同じだ。単純に誕生が始まりで死が終はりといふ考へもあるかしれないが、宇宙の神秘、生命の神秘を思ふ時、そんなに単純なものではない気もする。かと言って直ちに仏教的な輪廻を持ち出すことには抵抗がある。万物は流転する。星にも誕生があり死がある。僕らが朝夕に拝むお日様もあと50億年もすれば燃え尽きて、赤色巨星となって水星も金星も地球もみんな飲み込まれるほど大きく膨れ上がることが予想されてゐる。僕らは地上の空気を呼吸して生きてゐるが、空気中に含まれる酸素といふ元素も、1モル集まれば 16g になり、その中には 6,02x10の23乗個もの元素があるといふ。そのひとつひとつの酸素原子の原子核の周りには8個の電子があって、1s に2個、2s に2個、2p に4個といふ風に分布してゐるといふ。電子は波動でもあるが、それでも何個あると数へて良いことになってゐる。創造主がその様に計画して造られたのではなくて、自然の成り行きで自動的に色々な元素ができあがったのだと思ふ。だが、そんなに精巧にできた元素を1モルになるまで集めると、6,02x10の23乗個ありますよと言はれてもとまどふばかりだ。今の科学はもっともっと微細なところまで極めてゐるらしいが、僕の頭で想像する分にはこのレベルでも十分すぎる。宇宙の広さを思へば気が遠くなるが、僕ら自身の身体が実は広大な宇宙を構成してゐるのかも分からない。旅にはおはりがない。どこまで行っても、これで納得、これで完結といふことはないのではあるまいか。数直線を想定し、1で切断すれば、右側の左端の数字は確かに1だが、左側の右端は限りなく1に近いといふだけで、そこには無限といふ神秘の淵が顔を覗かせてゐる。僕らは終はりのない旅を生きてゐる。

山から見下ろした Söderköping の町