Learning for all 活動報告会の感想

2022-07-30 (土)(令和4年壬寅)<旧暦 7 月 2 日>(友引 甲申 七赤金星) Algot 第 30 週 第 26841 日

 

Learning for all の活動報告会がオンラインであるといふので、朝早く起きて参加した。日本時間では午後1時からであるが、ヨーロッパ時間では朝6時からになる。Learning for all といふのはこども達の貧困を解決したいと立ち上がった民間の団体であるが、活動を始めてみると、子ども達が学ぶことができるやうな環境を整へる前に、子ども達がまづ安心できる居場所を用意することも大きな活動の内容になってゐるといふ。いつも同じ目的で活動するのであるから、どうかすると活動報告も毎年同じものになりやすい傾向が出るのではないかと思ふのだが、実際に報告会を聞いてみると、言葉に新しい生きた真実味があって、好感が持てた。若い人たちはプレゼンテーションがうまいなと感心した。どんな団体でも出発点の心意気は尊いのだが、長い時が過ぎるうちに、あるいは組織が大きくなるうちに、最初の志から離れて行くことがままある。その様な退廃を防ぐ意味でも、この様な報告会を時々開くことは大事であると思ふ。今日の報告会で僕の印象に残ったのは、子どもに作文を書かせてみたといふ報告であった。子どもは最初は何から書いて良いかわからない。何日もかけてひとつの作文を仕上げたといふ報告を聞いた時、これは素晴らしいことだと思った。作文だけ書ける様になっても受験勉強にはならないといふ批判もあるかもしれないが、紙と鉛筆だけで、自分の思ふことを、自分の手の筋肉を使って書いてみることはあらゆる勉強の基礎だと思ふ。これがスマホであったりすると、次の言葉の予想を機械が提案してくれたりして、ああいふ機能を使ったりすると勉強にならない。子どもの貧困の解決といふが、そもそも勉強するには紙と鉛筆だけあれば良いのであって、お金はさほどかからないことに注意せねばならない。昔から苦学して身を立てた人は皆さうして来たのだと思ふ。時代が違ふといふ人もあるかしれないが、大切なことは高学歴を身に付けることではなくて、自分の頭で考へて自分の言葉でそれを述べる練習だと思ふ。その様なことを子どもたちに教へて励ますべきではないか。Learning といふことをあまりに自明のことと思ってはいけないと思ふ。Learning とは何か。それは、大げさかもしれないが、人が生涯をかけて問ひ続ける問題であると思ふ。その様な意識が、支援する人々の中にどうぞあって欲しいと僕は思ふ。

Stockholmsvägen は長い坂道になってゐる。その坂の上に浮かぶ一朶の雲。文字通りの意味で坂の上の雲である。