後白河院と和歌

2022-06-20 (月)(令和4年壬寅)<旧暦 5 月 22 日>(友引 甲辰 八白土星) Linda  第 25 週 第 26801 日

 

コロナ以来、家で写経をする代はりに平家物語を書写することを始めた。1回200文字に限定してゐる。だが、やる気の出ない日も多く、遅々として進まない。それでも細々と続けて、ひとつの段落を写し終へるごとに自分なりの訳を書いてみて、それをブログに載せたりする。これはもう高校生になったつもりで、レポート提出に近い感じで書くのである。後白河院はこの物語のキーパーソンで、読み進めるほどに、この偉大な帝王を身近に感じる様な雰囲気になる。ところで、あの王朝時代の宮廷ではことあるごとに和歌が詠まれた筈だが、後白河院の和歌はついぞ聞いたことがない。それがやや不自然な感じがする。後白河院はむしろ今様を愛せられた。当代の歌人であった藤原俊成千載和歌集の編纂をお命じになったが、その中にご自分のお歌は無いように思ふ。兄にあたられる崇徳院百人一首にも歌があるし、ご息女の式子内親王や孫にあたられる後鳥羽院などの絢爛たるお名前を拝するにつけても、後白河院が和歌をお詠みにならなかったのにはどの様な事情があったのかなと思ったりする。聞いてはいけないことなのかな。

雨で散歩をサボったが、夜になって晴れた。