座右の銘

2022-06-19 (日)(令和4年壬寅)<旧暦 5 月 21 日>(先勝 癸卯 七赤金星) Germund Görel  第 24 週 第 26800 日

 

子供の頃には学校で「座右の銘」を持ちなさいと教へられた。「あなたの座右の銘は何ですか」といふ風な質問がなされることもあった。でも、現代ではその様な質問は無粋で失礼に当たるからなのだらうかあまり聞かれない気がする。「座右の銘」は人生の色々な段階で変更しても良い様な気がする。ではさて、人生もかなり後半にさしかかった今の自分にとって果たして「座右の銘」は何だらうと自問してみる。答へから言ふと、「善く生きよ」と言ふ言葉かなと思ふ。「たとえ他人から不正を受けても、不正をもって報いてはならない。」「単に生きることではなく、善く生きることこそ大切である。」と言ふソクラテスの言葉がもとにある。僕らが生きてゐるこの世界は万人に共通した器の様なものであって、その中で自分も生きてゐるものと感じがちだ。自分一人がどうあがいても世の中を良くすることなどできないと思ひがちだ。けれども実はこの世の中を客観的あるいは統一的に記述できる座標などはなくて、個人個人がそれぞれ固有の座標の中で生きるしかないのだと思ふ。「いま、ここ」といふことこそが大事で、歴史を学ぶ時も、時代の流れを追ふといふよりは、自分の立脚する今を起点として学ばなければいけないと思ふ。自分の身の上に起きる事件は、どんなに不都合なものであっても、その事件が自分に相応しいから起きたのだと受け容れる覚悟が要るのではないか。現代は気候変動があったり、コロナが流行したり、戦争があったり、大変な時代だと思ふ。また、格差社会といふことも言はれる。格差は是正されなければならないが、自分はなぜこの様な社会の中で生きることになったのか、その運命を甘受しつつも、「いま、ここ」を起点として考へる態度が大事なのではないかと思ふ。親ガチャを嘆く人にはそれに相応しい運命しか巡って来ないと思ふ。

風吹けば葉裏のそよぎめくれきて織りなす縞に夏の日のかげ