戦争が拡大しませんように

2022-05-05 (木)(令和4年壬寅)<旧暦 4 月 5 日>(友引 戊午 七赤金星)立夏 こどもの日 Gotthard Erhard 第 18 週 第 26755 日

 

「日本は平和の国だ。日本はよその国に侵攻したりはしない。だからよその国も同じように考へてくれて、どんな国も日本を攻めて来ることはないだろう」といふ見方がある。だが、それが如何に一方的で楽観的な見方であるかを、最近の世界情勢は見せつけてゐるように思はれる。「日本も敵の襲来に備へなければならない」さう思ふ人は多いと思ふ。けれどもここで気をつけなければいけないことは、コトの善悪の基準を相手のレベルで相対化してしまふ恐れはないかといふことだ。「相手があそこまでやるのだから、自分もここまでやって良いだろう」と思ってしまふ恐れが大きい気がする。その昔、西にクリミア戦争があり、東にアヘン戦争があった頃、日本は、欧米列強から侵略されてしまふのではないかと恐れおののいた。その真剣な恐ろしさの感覚は現代の日本人にはわからないかもしれない。日清・日露の両戦争を通じて独立を守った日本は、「欧米列強があそこまでやるのだから、日本もこれくらいやらねば競争に負けてしまふ」と考へて満州や南方へ拡大を図った。本来温厚であったはずの日本人がなぜそのようになったかと言へば、自分に課すべき掟を忘れて世界の風潮に染まったからだと思ふ。それが如何に間違ひであったかは歴史が示してゐる。今の時代も日本人の基本思考は変はってないと思ふ。防衛戦争と侵略戦争はどこにその境界があるのか誰にもわからない。戦争に正しい戦争などないのだ。「相手がやるのだから自分もやる」ではいけないと思ふ。日本は善悪の基準を自分のうちに確固として持たなければならないと思ふ。「君君たらずとも臣臣たらざるべからず」といふ言葉もある。国際関係は君臣の関係ではないのでここに引用するのはをかしいが、どんな場合でも相手の非を問ふ前に自らを省みる態度が大事だと思ふ。日本は「和を以て貴しとなす」国である見本を世界に示さねばならないと思ふ。

Nyköping川にも若葉の季節が来た