2年ぶりに死刑執行された話

2021-12-21 (火)(令和3年辛丑)<旧暦 11 月 18 日 仏滅 癸卯 三碧木星) Vintersolstånd Tomas 第 51 週 第 26620 日

 

日本の新聞で、2年ぶりに死刑が執行されたことを知った。見出しのそれだけの文字から、薄暗い死刑執行の戦慄の現場を想像できる人が何人ゐるかなと思ふ。僕自身もそんな想像からはなるべく離れたいと思ってゐる。でもこの様な想像の欠如は、社会の中で簡単に人を殺してしまふ人間の出現を助長することにならないだろうか。「悪いことをしたのだから死刑になるのは仕方ない」と多くの日本人が考へてゐる。しかし、死刑とは公的に計画された殺人であるのだ。刑の執行は野蛮きはまりないものだ。公の手に委ねられれば「目には目を」が許されるのだろうか。日本が世界の中で文明国家であろうとするなら、まづ死刑を廃止するべきだと思ふ。こんなことを言ふと、「それでは犯人が増長してますます犯罪が増える」と人は思ふかもしれない、しかし、もしそのようなことがあったとしても、それは移行期のしばらくのことで、長期的な目で見れば、死刑を廃止しても犯罪が増えることは無いと僕は信じる。事件が起きると「なんと凶悪な」と言って人は罪を憎むものだが、人の心はちょっとしたことがきっかけで、簡単に変はってしまふ。本来は普通の人なのにある条件下で凶暴な性格に変化してしまふことは十分ありうる。人の心とはそれくらいデリケートなものだ。そのちょっとしたきっかけは、誰にも起こりうることだ。死刑囚もその元のところでは普通の人間と変はりない。日本は刑罰に関してもう少し忍耐強くなるべきと思ふ。

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冬至の日の日没。太陽が冬至点を通過する時刻が日本時間では22日になってしまふので、日本の暦では22日が、ヨーロッパの暦では21日が冬至である。