アメリカの4年前の刑執行

2021-05-23 (日)(令和3年辛丑)<旧暦 4 月 12 日> (先負 辛未 二黒土星) Pingstdagen Desideria Desirée    第 20 週 第 26398 日

 

CNN日本語版のニュースを見てゐたら、「4年前に刑執行の元死刑囚、凶器から別人のDNA発見」といふ記事があって、驚いた。死刑囚の名前はリデル・リーといひ、最期まで無実を訴へてゐたが4年前に処刑されてしまったといふ。実際に無実であった可能性もあるわけで、なぜ無実を主張する人に刑の執行を急がねばならなかったかと悔やまれる。厳しかったであろう尋問に、どこまでも無実を主張すること自体、大変な意志力が必要であったろうと思ふ。日本にも死刑があるが、これは日本が文明国ではない証拠だと僕は思ふ。日本では昔には仇討ちが許されてゐた。殺人事件でも親の敵討ちならば、むしろ美德のように語られる場合もあった。親の仇をみすみす逃すなら、その子は腰抜けともみなされかねない価値観もあったと思ふ。そのような考へ方の残滓がまだ現代にもあるといふものか、極悪犯人の死刑を支持する意見は依然多いようである。そんな日本でも、僕の記憶では、死刑を廃止しようとする機運が高まった時があった。1994年ごろだと思ふ。その翌年にオウム真理教の一連の犯罪があって、その残虐さが報じられると世論は俄かに死刑の存続を支持する方に傾いたように記憶してゐる。実際僕らの生活は法律によって保護されてゐる。だから法律は大事ではあるのだが、基本的に人が人を裁くのは良くないと僕は思ふ。特に最近は刑罰が厳格化される傾向があるようにも感じられて心配である。アメリカにも死刑があるが、アメリカも文明国ではないのだ。世界中から死刑は無くして欲しいと思ふ。人の心はちょっとしたことで残虐になってしまふこともあるのかもしれない。恨みをもって恨みに報いれば、刑の執行が法の番人に委ねられたものであっても、社会は良くならないと思ふ。

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Pingst は1年で最も良い季節なのだが、昨日今日はあまり良い天気でなかった