平家物語「有王 2」

2022-01-03 (月)(令和4年壬寅)<旧暦 12 月 1 日> (赤口 丙辰 八白土星新月 Alfred Alfrida 第 1 週 第 26633 日

 

有王は都を出発する準備をした。だが、このことを父にも母にも知らせなかった。打ち明けたところで、決して許してもらへるものではないと分かってゐたからである。中国へ行く商船は、四月、五月ごろに出航する。夏衣たつ季節になって都を出たのではきっと遅いだろうと思って、三月末に都を出た。多くの浪路を凌ぎ過ぎ、薩摩潟へと下った。薩摩より彼の島へわたる船着場に来た時、お前何か怪しいなと咎めだてられ、着てゐるものも剥ぎ取られてしまった。しかし、有王は少しも怯まなかった。姫御前から預かった御文ばかりは人に見せてはならないと、元結の中に隠して持って行った。さうして商船に乗せてもらって、鬼界ヶ島へわたることが出来た。都でうすうす聞いて知ってはゐたのだが、その島の恐ろしさは物の数ではなかった。田もない、畑もない。村もない、里もない。まれに人はゐるけれども、まるで知らない言葉を話してゐる。もしかしたら、このような者どもの中にも我が主の行方を知るものがあるかもしれない。さう思って「もしもし」と声をかけてみる。「何だね」と返事がある。「ここに都より流された法勝寺執行御房といふ人の行方をご存知ありませんか」と尋ねてみた。もし法勝寺とか執行とかのお名前を知ってゐるものならば、返事もしてくれるだろうが、首をふって全然知らないと言ふばかりである。ところが何人めかのものが反応した。「さあ、そのような人は三人ここにゐたが、そのうち二人は召し返されて都へのぼった。もう一人はここに残って、あそこ、こことまどひ歩いてゐるようだが、行方は分からないよ」と言った。山の方かなと思って、はるかに分け入り、峯によぢ、谷に下ったけれども、白雲跡を埋んで、今来た道も分からなくなるほどであった。青々とした山気が有王の夢を破って現実に俊寛の姿を見せてはくれなかった。山をいくら探しても会へなかったので、今度は海のほとりに出てみた。しかし、砂浜に文字のような足跡をつけるカモメ、沖の白い干潟に集まる浜千鳥の他には、跡といふものは何もなかった。

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昨日の雪はまるで春の雪のように一夜で消えてしまった。