平家物語「少将都帰 1」

2021-12-07 (火)(令和3年辛丑)<旧暦 11 月 4 日 友引 己丑 八白土星)大雪 Angela Angelika 第 49 週 第 26606 日

 

鹿ケ谷の陰謀のかどで鬼界ヶ島に流された丹波の少将成経、康頼入道、俊寛僧都であったが、このうち、丹波の少将成経と康頼入道の2名は、中宮御産の慶事により大赦となった。俊寛一人を島に置いて、ふたりは都へと向かった。肥前鹿瀬庄まで来た時、成経の舅(妻の父)である平教盛から使ひがあって、年のうちは浪風激しいからそこに逗留し、春になってから都へ上れと指示があった。それでふたりはそのアドバイスに従った。いよいよ年も明けて、治承3年(1179年)正月下旬となった。ふたりは肥前国鹿瀬庄を出発した。都へと急いだけれども、余寒なほ激しく、海上もひどく荒れるので、浦づたひ島づたひに旅をして、2月10日頃に備前の児嶋に着いた。そこは成経の父、大納言成親の流刑地である。成経は父が住んでゐた場所を訪ねた。竹の柱やふすま障子に書き置かれた筆の跡を見て、「人の形見には手跡に過ぎるものはない。もし、書き置いてくれなかったら、どうしてこれを見ることができようか」と言って、康頼入道と読んでは泣き、泣いては読むのであった。「安元3年7月20日出家、26日信俊下向」と書かれてある。それによって初めて、源左衛門尉信俊がここを訪ねてくれたのだなとわかるのであった。そのそばの壁には「三尊来迎有便。九品往生無疑」とも書かれてあった。この形見を見て、父上は流されてゐただけに極楽往生を求めるお気持ちを持ってゐらっしゃったのだと、限りなき歎きの中にも、少し頼もしい口調でつぶやくのだった。

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今朝は-17℃だった。気圧も今週は 1010 hPa を回復してゐる。