デジタル社会は日本には向かない?

2021-12-28 (火)(令和3年辛丑)<旧暦 11 月 25 日 大安 庚戌 五黄土星) Benjamin 第 52 週 第 26627 日

 

スウェーデンに住んでゐて日本といふ国を眺めると、日本に住む多くの人たちはデジタル社会を望んでゐないようにみえる。それはそれで悪いことではないと思ふ。むやみにデジタル化を促進しなくても良いような気もする。例へば銀行。過去10年のうちに、日本でも銀行のあり方は大きく変はったと思ふが、スウェーデンではもっと激しく変はった。人口が少ない国であるので、実験的な試みは何事につけ素早く実現する。スウェーデンでは現金を無くさうといふ動きもある。支払ひに現金を使ふことはほとんどなくなった。ATMの数も非常に少ない。町へ出かけても、銀行に行く用事はなくなった。全てインターネットバンキングである。コンピュータもスマホも持たないお年寄りはどうしてゐるのかなと気になるが、ともかく銀行へ出かけて行っても接客の窓口はない。番号札もない。空港などにある両替専門のお店だけは例外的に窓口がある。その有様は日本の銀行からは到底想像できないだろうと思ふ。日本では将来的にも現金廃止になることはないだろうと思ふ。家庭のタンス預金の札びらが全て紙くずになることは想像しにくい。もともとお金に対する感じ方が違ふのかもしれない。マイナンバー制度も同じである。普及しないのは国民性によるのではないか。日本人は合理化は一応は良いことだと考へるが、行きすぎた合理化への抵抗が大きいのだと思ふ。そんな国民性の国では一部の指導者たちがデジタル化を推し進めてもなかなか浸透しないと思ふ。その結果、世界の競争から脱落するかもしれないが、それはそれでも良いのかもしれない。何が良いことで何が悪いことかは早計には決められないからだ。僕個人はデジタル社会が好きなのだが。

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気温はプラスに転じたが、風があってむしろ寒く感じた。