ゴールなき人生

2021-10-04 (月)(令和3年辛丑)<旧暦 8 月 28 日> (大安 乙酉 九紫火星) Internationella barndagen Frans Frank 第 40 週 第 26532 日

 

人はその人生の節々にゴールを設定したがるものだ。大学に入学することがゴールであったり、就職することがゴールであったり、昭和時代には女の人は結婚すればゴールインとか言はれたものだ。でもひとつのゴールは常に新たなレースの出発点にもなってゐる。人生はマラソンに喩へられることもあるが、マラソンにもゴールはある。高齢になってくると、もはや目標もなくなって死を待つだけになる。では死は人生のゴールだろうか。もし、修行して覚りの境地に達することができれば、それがゴールなのだろうか。「最後に笑ふのは誰だ?」と云ふ時、その最後とはいつをさすのだろうか。今日、本を読んだら次のようなことが書いてあった。お釈迦様は覚られた後にも菩薩行をやりたいと言はれたと。菩薩行は本来、「覚り」といふゴールに達するためにやるものと考へられがちだが、しかし、「覚り」よりも菩薩行の方が価値があるといふことである。数あるお経の中でももっとも重要視される法華経といふお経にそのようなことが書いてあるといふ。菩薩として行に励むことに専心するなら、覚ってゐてもゐなくても大きな問題ではない。そこにゴールはなくてただプロセスだけがある。これはひとつの救ひではなかろうか。読んでゐた本とは、橋爪大三郎著「死の講義」(ダイヤモンド社)。

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今日は散歩に出ることができた。