Yes, we can.

2021-08-11 (水)(令和3年辛丑)<旧暦 7 月 4 日> 仏滅 辛卯 九紫火星)Susanna 第 32 週 第 26478 日

 

英語を勉強してやや不満に思ふのは、can が助動詞であることだ。場合によっては can を動詞に格上げしてやっても良いのではないか、と思ふことがある。実際、’Yes, we can.’ と言ふ時、can が助動詞のままでは落ち着かないのではないかなと思ふ。その後ろに続くべき動詞が何であるかは聞き手の推量に任されるからである。日本語で、「あいつは英語ができる」と言ふ時、これを英語に訳して ’He can English.’ と言ふと、もしかして注意されるかもしれないなと思ふ。can の後ろに speak とか read とか write とかの動詞をつけろ、と言はれさうな気がする。日本人にしてみれば、何をわかりきったことを、いちいちそこまで言はなきゃいけないのかよ、といふ気になる。その点、スウェーデン語は割と融通がきく感じがある。Duolingo でスウェーデン語の勉強をしてゐたら、’Det är bra att kunna många ord.’ といふ例文があって、これを英語に訳せといふ出題があった。もし、’It is good to can many words.’ と答へると変な感じがして、多分バツになる。’It is good to know many words.’ が正解になる。このようにスウェーデン語では kunna が動詞のように働くことがある。やはり、融通のきく言葉であるといふ点で、日本人にとっては英語よりスウェーデン語の方が親しみやすい気がする。

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ナナカマドといふのか、そんな季節になった。