「地形と日本人」を読む

2021-01-18 (月)(令和3年辛丑)<旧暦 12 月 6 日> (大安 丙寅 三碧木星) Hilda Hildur   第 3 週 第 26274 日

 

方向感覚が悪い僕は、目に映る風景を眺めてもその地形の特徴を把握する能力が低い。昔から戦になれば、守るにせよ攻めるにせよ、自分のゐる地形の特徴をしっかりとつかんで作戦に反映するのが常であった。それで僕の様な人間は戦争には何の役にも立たないのである。戦後に生まれたのは幸運であった。地図を見ること自体は嫌ひではないのだが、いつも平面としての地図しか見てゐない。もしも地図に鉄道も駅も載ってゐなければ、僕の地図を読む能力はきはめてあやしい。そんなことを改めて思ったのは、この本を読む時にはいやでもその説明のある土地の形状を想像してみなければならないのでなかなか困難であったからである。Kindle版で読んだのだが、図や写真が電子版では見にくく、この本を読む時は紙の本の方が良いと思った。この本では、地理に無縁な歴史も、歴史に無縁な地理もないことが強調されてゐる。教科書には、何時代にはどの国がどの範囲を治めてゐたといふ類の歴史地図はあるかもしれないが、ここでは、地形そのものが歴史とともに移り変はることに眼目が置かれてゐる。海岸線や川の流れや山の形や谷の様子、扇状地が平野を為す様子などは長い目で見ると変容してゐる。地球は生きてゐると感じる。そして、そのそれぞれの土地でそれぞれの時代に人々はどの様に洪水や氾濫などに対応してきたかが各地の具体例をあげて説明されてゐる。古い文献なども豊富に引用されてゐて、奥の深い本であると思った。近世に至るまで、大きな河川の堤防で一般的であったのは「霞堤」と呼ばれるものであった。それは半ば自然の力を利用して、溢れた水を上流側へ受け流す様な堤防であったらしい。上流側で滞水する部分は通常は水田として利用されてゐた。水田を洪水時のバッファの様に置く方式であった。それが近代になると広い河川敷を持つ連続堤と呼ばれる方式が建設される様になった。これ以降、生活領域と河川敷とは明確に分かれる様になった。便利にはなったのだが、万一本当に大きな増水があった場合には堤防が破られて水害の及ぶ範囲が大きくなる。昔、水田であったバッファエリアは今では生活領域となり、新しい各種の都市施設が設けられてしまって、破堤が発生した場合には壊滅的被害になる恐れがある。令和元年の水害では北陸新幹線車両基地がやられたが、上記の様な説明を受けた後では、これは必ずしも異常気象のせいばかりにはできないかもしれないと思った。防災について、昔の人の知恵と現代文明の脆さとを併せて思ひ起こさせる本であると思った。書名は「地形と日本人 ー 私たちはどこに暮らしてきたか」金田章裕著(日経プレミアシリーズ)。

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町まで行った今日は、久しぶりに Nyköping 川の写真を撮ることができた。