日本人のルーツ

2019-11-26 (火)(令和元年己亥)<旧暦 10 月 30 日>(先負 丁卯 四緑木星) Linus  第 48 週 第 25855 日

 

この秋に日本に行った時に姉から勧められて「この国「深奥」の重大な歴史」といふ本(久保有政編・ヒカルランド)を読んでみた。日本人の祖先の一部はユダヤ人であり、イスラエルの失はれた10支族が世界をさまよった果てに、日本へたどり着いたとする説が紹介されてゐた。これは僕が知らなかっただけで、友達に聞くと、その説は聞いたことがあると言ってゐた。有名な話なのかもしれない。本当のところはどうなのか分からないから鵜呑みにはできないが、かと言って、頭ごなしに否定するのもどうかと思ふ。日本語には漢字の他になぜ、ひらがなとカタカナがあるのだろう。それはどんな必要があってどの様に成立し、どの様に使ひ分けられたのだろう。万葉集の時代には万葉仮名が使はれて、それなりに発達した筈なのに、紀貫之土佐日記を書いた頃にはひらがなが成立してゐた。古今集以降は和歌を書き残す為にはひらがなが使はれた。明治時代の教育勅語はカタカナと漢字で書かれてゐる。吉田満の「戦艦大和ノ最期」も漢字とカタカナで書かれてゐる。精神の発揚にやまとうたのひらがなは軟弱であったか。現代ではカタカナは外来語や動植物の名称、擬態語を表すのに用ゐるとされるが、明治より前の昔にはどの様に使ひ分けられたのだろう。それはともかく、この本を読んだ後に感じたことを書く。僕は外国生活が長いのであるが、心の奥の方では、「こんな感じ方は日本特有だろうな」と思ったりすることが今でもある。「到底外人には通じないだろうな」と思ってしまふこともある。でも、それは極東の島国の特殊な事情によるのではなくて、意外に普遍性のある考へ方かもしれないぞといふ思ひがもたげてきた。もし日本人の祖先がユーラシアを超えて来たのなら、それはある種の自信につながる気がする。昔から日本人は迫害されるユダヤ人に対しどこかシンパシーを感じることがあるのは、ルーツからくる無意識の同胞意識によるのかもしれないとも思った。人間にとって自分はどこから来たかを知ることは生きる上で大事なことであると思った。

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11月は曇り空が多く、日暮れは早い。