日蓮の「立正安国論」

2020-08-04 (火)(令和2年庚子)<旧暦 6 月 15 日> (友引 己卯 三碧木星)満月 Arne Arnold  第 32 週 第 26107 日

 

「余の尊敬する人物」(矢内原忠雄著、岩波新書)を読んだのはもうずっと昔のことである。最初に手にした時、キリスト者である著者が何故「日蓮」を選ばれたのか意外な気がしたものだ。だが、内村鑑三が英語で書いた「代表的日本人」(鈴木範久訳、岩波文庫)にも「日蓮」が登場する。これらの本を読めば「何故日蓮が?」といふ問の答へは明らかになる。しかし、時が経つと忘れてしまふものだ。この2冊の本は両方ともスウェーデンに持って来てあったので、久しぶりに、思ふところあって、その部分だけ読んでみた。思ふところといふのは「立正安国論」の冒頭の部分である。「旅客来たって嘆いて曰く、近年より近日に至るまで、天変地妖、飢饉疫癘、遍く天下に満ち、廣く地上に迸る。牛馬巷に斃れ、骸骨路に充てり。死を招くの輩既に大半に超ゆ。之を悲しまざる族一人も無し。」日蓮はこんな書き出しで時の執権北条時頼に手紙を書いた。今から760年前、文應元年(1260年)7月のことである。この描写が、コロナや災害で苦しむ現代の日本の姿ととても良く似てゐる様に思はれてならない。日蓮はこの設問に答も用意してゐる。「人は皆正に背き、人悉く悪に帰してゐる。その故に災禍が起こるのである。」現代の困難も同じことだと思ふ。この困難はワクチンの開発を待ってもおそらく解決することはなく、もっと宗教的な面からのアプローチで、人の心の奥深いところに反省を求めなければ解決しないのかなとも思ふ。

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いつから咲いたのか人に知られぬ花もある。