GAFAの公聴会

2020-08-03 (月)(令和2年庚子)<旧暦 6 月 14 日> (先勝 戊寅 四緑木星) Tage  第 32 週 第 26106 日

 

数日前に米議会でGAFA公聴会があった。GAFAのトップが勢揃ひする機会は少ないので、それだけでもビッグイベントであったかもしれない。この時期に何故公聴会が開かれるのだろうといふ疑問もあるが、このコロナ危機で多くの企業が苦しんでゐるといふのに、GAFAの巨人たちだけは一層儲けてゐる。何か不公平なことが背景にありはしないかといふことが議会で問はれたのではないかと思ふ。GAFAよりも一世代前の Microsoft の Bill Gates 氏はやはり巨万の富を築いたが、それを社会のために還元しようといふ気風が僕には感じられる。GAFA はどうなのだろう。GoogleApple の創業者は今のCEOではない。かつて Google には ’Don’t be evil’ といふ標語があったが、今はあまりその様な気概が感じられない気もする。ところで、もしこの様な公聴会が日本で行はれたらどうなるだろう。その場はもっと激しいヤジで荒れることはないだろうか。日本人は正義を語るポーズをとって欲求不満の解消を図ることが多い。成功した人がゐると、「俺たちはこんなに苦しんでゐるのに」と自分と比較して羨む。羨むばかりでなくて引き摺り下ろそうとする。例へば、日産ゴーン元会長の事件の時でも、やったことの是非といふよりも、「それはズルイよ」といふ感情の方が支配的であったと思ふ。かつて、舛添要一氏は不信任案を得て東京都知事を辞職したが、これも都民たちの「それはズルイよ」といふ感情に支配されたのであった。もっと大事な視点があるべきだったように僕は思ふ。人々は羨望をあからさまにするのは気がひけるので正義の仮面をかぶって攻撃するのである。人間はあらゆる審判を天に委ねて、地上で人を羨んではいけないと思ふ。人を羨まずにおけば、相手は必ずどこかで気づく。気づかなければ自然の摂理によって裁かれるだけのことだ。因果応報とはそのようなものだ。「それはズルイよ」と決して思はない、人を羨まずにおくことが世の中を良くする第一歩ではないかと思ふ。

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紫陽花に似てゐるのだが、色が違ふ様な。