コロナのあとさき

2021-01-07 (木)(令和3年辛丑)<旧暦 11 月 24 日> (仏滅 乙卯 九紫火星) August Augusta   第 1 週 第 26263 日

 

どんな国であっても、その国へ移民して来る人間をきちんと受け入れることは、たといひとりであっても、難しいことなのだと思ふ。僕の場合は30年以上前に、割とスッとスウェーデンの滞在就労許可証を家族の分と一緒にいただくことができたのだが、それは一般的なことではなかったと思ふ。自分がまだ仕事をしてゐた間は、それなりに会社の中での己の存在理由を自覚できたから居心地は良かった。しかし、定年退職してしまふと、何の役に立つ人間でもないので、この社会に住まはしてもらふことに申し訳ない気持ちもある。日本へ帰るのもひとつの選択肢ではあるのだが、色々な理由が絡んでそれは今の所できない状況にある。こちらの国での暮らしに何ひとつ不足はない。役に立つとか立たないとか、能率が良いとか悪いとか、社会の迷惑であるとかないとかで、その人の存在理由を問ふのはそもそも良いことではないので、あまり深く考へない様にしてゐる。ただ、コロナ後の世界といふのは、国と国の間で人の行き来が少なくなるだろうと思ふ。それで、同じスウェーデンに暮らすのであっても、コロナの前と後ではその意味合ひがかなり変はって来るかなと思ふ。子供の頃、学校で、明治維新で始まった日本は江戸の古い殻を打ち破って素晴らしい変貌を遂げたと習ったが、後年、広島や長崎に原爆を落とされることになる運命の筋道は、結局明治維新から始まったともいへる。日清戦争の頃に内村鑑三は「代表的日本人」を著し、その「西郷隆盛」の冒頭で「長く続いた日本の鎖国を非難することはまことに浅薄な考へであります。(中略)世界から隔絶してゐることは、必ずしもその国にとって不幸ではありません」と書いた(鈴木範久訳 岩波文庫)。EU からの離脱を成し遂げたイギリス人が見たら喜ぶかもしれないが、時代はその様な価値観を見直すべき時に来てゐるかなと思ふ。僕は何も鎖国までせよとは言はないが、もう少し外国との間に距離を置いて、国として内省的な面を重んじても良いと思ふ。日本といふ国が、労働力が足りないからと言って、外国人をどんどん受け入れることは、このコロナ禍を機として将来的にやめられないものかなと思ふ。あるだけの労働力でやっていける社会を建設すれば良いのだ。

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今日は白い世界になった。