コロナが生み出した言葉

2020-04-24 (金)(令和2年庚子)<旧暦 4 月 2 日> (大安 丁酉 一白水星) Vega   第 17 週 第 26005 日

 

4月21日の朝日新聞のWEB記事で見た「濃厚接触で何を連想する? 哲学者が考へるコロナの言葉」は読んで面白かった。古田徹也氏の寄稿である。コロナウイルスが流行したことで「濃厚接触」「オーバーシュート」「ロックダウン」などの新しい言葉が生まれた。いや、言葉としては専門用語として前からあったものかもしれないが、それが人々の身近な生活の中に入り込んで来たといふべきか。ニュースで新しい言葉が流れると、きちんと言葉の定義を確かめずに、これまでの自分の経験を拠り所に何となく分かったつもりになってしまふ。一度世の中に広まるとそんな言葉を自分も知らなければ恥みたいな心理が働いて、それぞれの人がそれぞれの語感で解釈して、その意味が統一されないことはあるかもしれない。「オーバーシュート」などはもともと工学上の用語で、感染の広がりを表す使はれ方とは微妙に違ふので、をかしいのではないか、と前からちょっと気になってゐた。しかし、大多数がある言葉を別の意味で使ひ始めてそれが世に流布すれば、その過程で言葉は別の意味を獲得することになる。言葉は世の中で生活するのに非常に大事なものだが、その意味を煎じ詰めるとわからないことも多い。新しい言葉でなくても、例へば「愛」とは何か「正義」とは何か「勇気」とは何か。分かってゐる様でも、説明し始めるとこちらがわからなくなって来ることもある。ウィトゲンシュタインによれば言葉は写像であると聞いたことがある。頭の中にあるモヤモヤとした感じは言葉にして表現することで整理される筈だが、整理しきれないものがあるといふことだろうか。

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庭に咲いた花の名前は Mosippa といふのかもしれない。