現地生活が長いのになぜ言葉ができないかーその5

2019-06-30 (日)(令和元年己亥)<旧暦 5 月 28 日>(友引 戊戌 二黒土星)Elof Leif 第 26週 第 25707 日

 

言葉の勉強にはゴールがない。母国語の日本語ならできると思ひがちだが、日本語でも知らない言葉、平気で誤用する言葉、読めない漢字はたくさんある。いつまでも国語辞典は手放せないが、逆に言へば辞書さへあれば安心だ。高校1年生の時に英英辞典を持ったが使ひこなすことはできなかった。知らない言葉を知らない言葉で説明されても分からないばかりであった。でも、社会に出てから次第に英英辞典を使ふことができる様になった。知らない単語でもその意味を英語で分かれば英和辞典は必要ない。やがて英和辞典をほとんど使はなくなった。聞き取りは全くダメで、会話能力が低くても、仕事でメールなどを読む時に英和辞典を必要としない事実は意外に自信につながった気がする。スウェーデン語の場合の字引といへば、瑞日辞典があるけれども、それでスウェーデン語を勉強するのは今ひとつなので、僕はよく瑞英辞典を使ふ。でも、その説明された英語が常に僕には新単語であるので、今度はこれを英英辞典でひかねばならない。一つの言葉を2度調べる手間がかかるので、これはなかなか骨の折れる過程である。高校時代に英英辞典を使へなかった様に今の僕は瑞瑞辞典を使ふことができない。僕が目標としたいのは、瑞瑞辞典を見れば言葉の意味が分かるレベルに達することだ。僕の今のスウェーデン語のレベルは、高校時代の英語のレベルよりも低い。何とか高校時代の英語のレベルほどまでにスウェーデン語のレベルをあげたいものだと思って少しづつ勉強してゐる。

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Nyköping の公園ー川から Östra bergen 寄りーにて