家事の自動化

2019-05-03 (金)(令和元年己亥)<旧暦 3 月 29 日>(先勝 庚子 四緑木星憲法記念日 八十八夜 John Jane 第 18週 第 25649 日

 

掃除ロボットとか、自動調理器とか、この頃は家事を手伝ってくれる電化製品の広告をよく見かける。人々はより進んだ電化製品があれば家事から解放されて時間が生まれると考へるのだらう。合理的ではある。しかし、家事とは本来解放されなければならないほど大変なことだらうか。それに比べて社会に出てする仕事とはそんなにも価値の高いものだらうか。家事の大変さは何も現代に始まったことではない。昔は川でお洗濯といふスタイルだってあったのだ。家事に時間を費やすといふことは、取りも直さず、「生きる」といふことだ。命を養ふといふことだ。やってもやってもどれほどのお金にもならないけれども、それは人間として生きるために必要なことだ。精神の営みでもあるかしれない。生きるために必要なことを機械にやらせてしまったら、結局自分は何のために生きてゐるのかわからなくなるのではないかな。家事もろくにできない男の言ふことではないかもしれないのだが。

 

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Nyköping C の駅舎の脇にて