自分流・認知症を予防する試み ー その3

日 旧暦 7 月 2 日 友引 丙子 九紫火星 Klara V32 25386 日目

コンピューターが発達したおかげで、紙に鉛筆で字を書くことをほとんどしなくなった。今、この原稿もコンピューター上に書いてゐる。漢字などほとんど忘れたが、読み方を忘れたわけではなく書き方を忘れたのである。機械上に変換文字の候補が現れるから自分の欲しいそれを選ぶだけで良い。少し長めの意味のある文節を入力してから変換するとひとりでに正しい変換をしてくれる割合も高い。また、歴史上の人物名なども昔は漢字を探すのに大変苦労したものだが今はスイスイと変換してくれる。ますます漢字を書けなくなる。紙に手で文字を書く作業は、実は結構脳細胞を使ふに違ひないと僕は一人で思ひ込んでゐる。それで脳の老化を防ぐためにノートに漢字を書くことを思ひついた。写経でも良いのだが、できれば内容が理解できて宗教色のないものが良いと思った。それで思ひついたのが、漢詩。半世紀も前に買っただけで全然読まなかった本、「漢詩一日一首」(平凡社版 一海知義著)を本箱から出して来てノートに写してみることにした。ノートは小学生が使ふ 18 マスのこくごノートである。使ひさしのノートも残ってゐた。1ページの上半分を使ってまづ僕が漢詩を写し取り、その本とノートを同居人に回す。分量はせいぜいで1日1ページ。最大でも七言律詩を一首ほどである。同居人はノートの下半分に同じ詩を書く。僕は鉛筆を使ってなるべくキチッとした字体で書く。同居人は筆ペンを使って同じ文字を流麗に書く。昔、書道をしてゐただけあって綺麗で芸術的である。脳を鍛へるゲームの様なものは、回答を入力するたびにピコンとか音がして耳障りで仕方ないが、この漢詩を写す作業は落ちついてよろしいと、同居人は喜んでくれた。一人でやると三日坊主に陥りがちであるが、二人でやることで継続できるかもしれない。始めてもうひと月ほどになるが、結構楽しい日課になりつつある。これも認知症防止のための一つの試みである。新薬の開発・発売を座して待つよりはるかに生産的な予防法であると内心で思ってゐる。

svelandski.hatenadiary.org