終戦の詔書

月 旧暦 7 月 3 日 先負 丁丑 八白土星 Kaj V33 25387 日目

今年も8月15日が近づいた。平成といふ時代も今年が最後であると聞くし、これから先、8月といふ響きが人々の心に戦争の面影を落とすことも少なくなるのかもしれない。しかし、さういふ僕も、あの戦争の終結を説く大詔をキチンと読んだことがなかった。それではいけないと思ひ、ネットで検索して国立公文書館デジタルアーカイブからその詔書をダウンロードした。その全文はさほど長くもないのでノートに写し取って見た。漢字もなるべく昔の字体をそのまま真似て書いた。自分の生まれるわづか3年前の文書でありながら、既に古典である。自分の不勉強を棚に上げての話だが、戦後日本の国語教育がもっとしっかりしてゐたならここまで古典にはならずに済んだのではないかとの思ひもよぎった。中でも難解なのは「五内為ニ裂ク」といふ表現である。ラジオから流れた音声を聞いて、この部分をしかと即座に理解した国民は少なかったのではないかと推察する。文藝春秋は同年秋に早くも十月号を発行してゐるが、その中に吉川幸次郎博士の「心喪の説」と題されたエッセーがあり、そこにこの部分の詳細な説明がある。それも合はせて読んだ。また、元の文案では「朕ハ義命の存スルトコロ」とあったものが、閣議にかけられた時、「朕ハ時運ノ趨クトコロ」と表現を変更され、その後に「以テ萬世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス」と応ずる文言の大前提が失はれてしまったと、安岡正篤氏は後に深く嘆息した話も読んだ (2015年8月3日 産経ニュース 小堀桂一郎氏)。そこで文章の力が大きく削がれたのだと思ふ。さうであれば、その元の語句を汲む表現で読まなければならないとも思ふ。この詔書閣議にかけられ、放送されるまでに起きた数々の劇的な出来事については「日本のいちばん長い日」に詳しい。初版は昭和40年で、大宅壮一の著で世に出たが、その後明らかになった資料なども踏まえて加筆改訂され、今は半藤一利著として決定版が出てゐる。僕は Kindle 版で読んだ。何もないところから平和は生まれて来ない。数多の犠牲に改めて合掌。

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