現場主義

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僕がまだ日本で仕事をしてゐた頃、長期で現場に滞在して仕事をすることがあった。お客さんとの打ち合はせも毎日の様にあった。東京のオフィスと細かいことまで連絡しあふこともできず、その場で自分の裁断で決めて打ち合はせ書を作成し、マネージャーには事後承諾を得る様な場合もあった。判断が正しい場合にはその様なやり方は手がかからなくてスムーズに事が運ぶ場合もある。けれども、これがクセになると危険である。東京は何もわかっちゃないのだから何でも現場で決めれば良いのだといふ気分になる恐れがあるのだ。かつて日本が外国と戦争を始めた時も、現場の軍隊の指揮官にはその様な感覚があったらうと思ふ。例へば日露戦争の旅順争奪戦。あの戦ひ以来、大日本帝国陸軍は「ここはお国を何百里、戦争は現場で決めてやれば良いのだ」と思ひこむ様になったフシがある。その様な迷妄を引き継いだまま、日本はそれまで全く関はりのなかった満州に足を踏み入れ、軍隊を派遣する。昭和3年張作霖爆殺事件が起きた。大元帥である昭和天皇の大御心は東亜の安定と平和の建設にあった。他国の主権を排したり、領土を侵すことは決して望んで居られなかった。それなのにこの事件以来、時局はまるで反対の方向に現場主導でグイグイと引っ張られていく。辛い昭和の時代の始まりであった。僕は昭和に生を受けた人間であるけれども、昭和の歴史をほとんど知らない。これではいけない、若い人たちと話もできないと思って、少しづつ昭和の歴史を勉強する様にこの頃心がけてゐる。

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