ツイッター嫌ひ

2019-09-22 (日)(令和元年己亥)<旧暦 8 月 24 日>(先勝 壬戌 八白土星)下弦 Maurits Moritz 第 38週 第 25791 日

 

人と話をして、瞬間的にレスポンスできる人はスマートで良いなと思ふ。僕にはできない真似だ。同居人などに随分と腹立たしい振る舞ひをされた場合でも、僕はすぐにはそのことに気づかず、随分時間が経ってからムラムラと腹が立って来ることもある。なんども繰り返し思ひ出しては一人で怒ってゐる。随分経ってから、一見理由もなくいきなり怒り出しては人品に障るので結局我慢することになる。すごくパンチのきいたセリフを思ひ浮かべることもあるのだが、思ひついた時にはもうそれを言ふタイミングが過ぎてゐる。それで、次回、この様な状況に至った場合にはかう言ってやろうとあらかじめ準備をするのだが、同じ様な状況は二度とこない。つぶやきは常に自分の胸に落ちるだけである。今はツイッターなどで、自分のつぶやきが瞬時に世界に伝はるが、一度呟いたことは多分取り消せない。恐ろしい話だ。自分の意見のつもりでも、それはいっときの勢ひで思ふだけのことかもしれない。あれやこれや頭の中で考へるとなかなかつぶやく事ができないものだ。そんなツイッターが選挙活動や世論の形成に一役買ってしまふ現象が僕には鬱陶しい。かく言ふ僕もほぼ毎日の様にブログを書くが、ほぼ一日遅れで更新する事が多い。思ったことを書き込んでその場でパッと更新すると後悔するかもしれないと思ふから、しばらく間をおいてから更新するのだ。この間を持つところがツイッターとブログの違ふところかなと思ふ。僕はツイッターはアカウントも持たないし、誰かをフォローしたいとも思はない。結局は時代遅れの高齢者に落ちるだけかもしれないがそれでも良いと思ってゐる。

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今日の夕焼け雲も美しかった。