自分とは何だろう

木 旧暦 8月22日 大安 丁未 五黄土星 秋分 Maurits Moritz Höstdagjämningen V38 24687 日目

自分の意思でその様にしたとは言へ、人生の半ばで日本の会社勤めを辞めて外国へ飛び出した時には、しばらくの間、「自分とは何だろう」といふことに関して思ひ悩むこともあった。ポッカリと心に穴があくほど強い感じではなかったけれども、やはり、いくばくかの喪失感があったと思ふ。でも、そのことを体験してゐたからか、65歳でこちらの会社の定年を迎へた時には、何の喪失感もなく、実にスムーズに新しい生活に移行できた。クッションでワンバウンドして着地した感じといふか。聞くところでは、人によっては会社を辞めることで生きがひをなくす人もあるらしいが、僕はかなりの会社人間であったにもかかはらず、さうならずにすんだ。働くことの意味を相対化してみることができたし、人生の半ばで転職してみたことは、僕の場合、良かったと今でも思ふ。ただ、着地した後でも、自分の中の何かが整ったらまた走りたい気持ちもある。「自分とは何だろう」といふ問ひはこれからも続く。