「もんじゅ」の行方

金 旧暦 10月9日 赤口 庚子 六白金星 Pontus Marina V47 24380日目

最近の日本のニュースで気になるのは「もんじゅ」の行方についてである。原子力規制委員会は「もんじゅ」運営体制見直し勧告を出した。これを受けて文部科学省は現在の日本原子力研究開発機構に代はる運営主体を探すとのことであるが、電気事業連合会は引き受けられないと言ってゐる。結局この勧告は「核燃料サイクルを止めよ」といふことであり、さらには「原子力発電を止めよ」といふことにもなる。今は原油が安いから「ほらごらん、原発を全部止めても日本はやっていけるぢゃないか」と言ふ人も多いかもわからないが、それは僕たちの努力の結果、原油価格が安くなってるのではなくて、産油国の思惑でさうなってゐるだけのことである。何時価格上昇に転ずるかは誰にも分からないし、新たな石油ショックが起きないとも限らない。さうなると、日本のお金はみるみるうちに外国へ流れ出て、日本は貧乏な国になる。すると、もともと無責任な世論の動向はいとも簡単に「原子力発電よもう一度」といふ風向きになってしまふことだって予想されるが、その時、稼働できる原子炉はもはや日本に無かったとなるかもしれない。日本にとって電源の多様化は大事なことで、その意味では僕は何とか「もんじゅ」の研究を続けて欲しいと思ふ。けれども、あのナトリウムを冷却材として使はなければならないことは将来にも不安を残すと僕も思ふ。思ひ返せば今から20年前の1995年は運命の年であった。「もんじゅ」がナトリウム漏えい事故を起こした年であるが、その同じ年に、もう一方の原子力開発の柱であった新型転換炉の実証炉開発計画が取り止められてゐる。原型炉の「ふげん」は2003年に廃炉が決まった。新型転換炉は減速材に重水を用ゐ、冷却材に軽水を用ゐるので、従来の商業炉に比べれば作りが複雑であるけれども、それでもナトリウムなどといふ厄介な物質を使はなくて済む分、技術的課題は軽かったろうと思ふ。ウランを濃縮しなくても燃料として使ふことができるほか、MOX燃料も使用できるので、今にして思へば、新型転換炉を継続させておいた方が、各発電所に溜まって来てゐるプルトニウムを減らすのに役立ってゐたといふ事はないのだろうか。思ひ返しても詮無いことである。