日大アメフトのタックル問題

土 旧暦 4 月 12 日 先負 戊午 四緑木星 Vilhelmina Vilma V21 25308 日目

日大アメフトの悪質タックル問題は、同じ時期にもっと他の大きなニュースがなかったからかもしれないが、随分世の中を騒がせた。日大にとってはアメフトは負の広告塔になってしまった。もっとも、今の時代、良くも悪くもともかく名前を知られることが大事と考へる人たちも多いかも分からないけれども。当事者たちは、これほどの大事件として世の中に報じられることを初めから予想できてゐれば、考へ方や対応の仕方も変はってゐたと思ふ。何と言ってもコトが起きてからの対応が遅れた。何故遅れたかと言へば、もともとそんなに悪いことをしたといふ自覚がないからである。その自覚なきところに真の謝罪はない。「大事件になるんだったら止したのに」といふ考へは、「もし事件にならないのならそこそこ適当にやって良いのだ」といふ考へにもつながる。スポーツ選手・監督と言へどもスポーツマン精神を重んじる人は意外に少ない。逆に見かけはスポーツマンらしくなくてもフェアーな精神を持つ人は居ると思ふ。僕自身も、日常生活の中で、「誰も見てないから良いだらう」とか、「これくらいなら良いだらう」とか勝手に判断して、あるいは自分が気づかないうちに、悪いことをしてしまふことはあり得る。「自分は本当にこれで良いのだらうか」と、いつも心の片隅で思ってみることが大事と思ふ。しかし、それがあまり過敏になると、今度は図々しい奴らに割り込まれて、自分が悪くもないのに譲らされてしまふこともあり得る。そこを瞬時に見極めるバランス感覚はいくつになっても難しい。わざと間違へるのは論外だが、人間であれば間違へることはやむを得ない。でも、自分が間違へてしまった場合にすぐに対応できる態勢ができてゐるかどうかは、日頃からのこのバランス感覚の磨き方にかかってゐるのではないだらうか。