リスクの定量化

土 旧暦 4月4日 先勝 丙戌 八白土星 昭和の日 Tyko V17 24917 日目

東日本大震災とそれに伴ふ福島の原発事故以来、僕らはリスクとどの様に向き合ふかといふことを意識する様になった。リスクは普通、確率にしてどれくらい危険であるかを示すものだが、例へばお医者さんから「この病気にかかっても 99 % の人は治ります」と言はれても、残りの 1 % に入ってしまった人にとっては、99 % といふ数字に意味はない。どの様な状況でその 1 % につながったのかの分析がなければならないと思ふ。「滅多に起きないことです」と言はれても、一旦それが起きてしまへば、社会に甚大な被害を及ぼす場合 ー 福島の原子炉事故がまさにその例であったが ー 単に「確率として非常に小さいから気にしなくて良い」と思ってはならないのである。リスクの定量化はだから難しい。これからの予想の科学はその辺も含めてきっと発達するだらうから期待したいところではある。だが、目下のところ、北朝鮮はミサイル発射を繰り返す。この朝鮮半島をめぐる緊張の高まりの中で、有事のリスクをどう見積ったら良いだらうか。アメリカ大統領選挙Brexit など、新聞で読む一般予想は外れることが多かった上に、世の中にはフェイクニュースも蔓延ってゐると聞く。結局は自分の責任において自分の判断に信頼するしかないが、勘や経験だけで物事を判断するのは科学的でないとも思ふ。北朝鮮の出方次第でどんなシナリオもあると思ってはいけないと思ふ。多少の犠牲は覚悟しても、アメリカや日本が北朝鮮の挑発に乗らずに忍耐すれば、有事は避けられると僕は思ふ。喧嘩といふものは相手が居なければできないものだ。売られた喧嘩を買ってはいけないと切に思ふ。